伊藤さんは、このときに会社に異議申し立てをする覚悟ができた。解雇になった同僚らと労働組合のユニオンに相談に出向き、会社と団体交渉を行った。ところが、社長はその場に現れない。「会社代表」として出てきた総務課長は、「自分は、(解雇の理由などは)わからない」とかわす。その態度にしびれを切らし、裁判に訴えた。
数カ月の後、和解となる。会社が一定の和解金を支払うことになった。その額は、給与の数カ月分ほど。社長は法廷に現れたが、謝罪はしなかった。伊藤さんは言う。「お金のために争ったわけではない。納得のいく理由を説明してもらいたかった」。
解雇になった後の数カ月間は収入がなかったが、知人の紹介で新たな会社で働くことができるようになった。パート社員(非正社員)として給与は月に10万円ほど。年収は150万円に達しない。子どものこともあり、短い時間しか働くことができない。
「生活は苦しく、限界に近い。だが、ハンディをいくつも抱える私をいまの社長は“誰でもそのような時期はある”と雇ってくれた。恩返しをしたい。子どもたちのためにも……」
最後に見せたのが、母親の顔だった。