慣用表現とはそもそも何なのか

日本語に限らずどんな言語にも言内の意味(字義通りの意味)がある一方、言外の意味をそこに見出せることが多い。わたしたちはそれらを互いに無意識のうちに使い分けながらコミュニケーションを図っている。ところが、この手のコミュニケーションを不得手とする小学生は意外と多い。そして、そういう子ほど国語の読解問題で苦労する傾向にある。

考えてみればこれは当たり前の話である。読解問題とは、たとえば「傍線部が引かれている文言」を字義通りに捉えるのではなく、その言外に隠れている意味を理解することが求められるからだ。

鉛筆で漢字を練習する子供
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これは何も文章読解に限らない。ちょっとした表現ひとつについても同様のスキルが求められる。「慣用句」「ことわざ」「比喩表現をはじめとしたさまざまなレトリック」……このような、大きくまとめて「慣用表現」と呼ばれるものの大半は言外の意味で解釈しなければならない。

唐突だが、皆さんは「頭が痛い」という表現の意味がお分かりになるだろうか。え⁉ そんなの単純ではないか? といぶかしく思われた方、本当にそうだろうか。この表現には2通りの意味に捉えられないだろうか。

言内の意味(字義通りの意味)では「頭にズキンズキンと鈍い痛みが走る状態」となる一方、言外の意味(「慣用句」としての解釈)だと「(何か厄介な事態が発生して)途方に暮れている状態(悩んでいる状態)」となる。両者を取り違えると、途端にコミュニケーションが不調に陥るのは自明の理だろう。受け取る側ももちろん、そのことばを使うほうも、正しい文脈で受け取ってもらえるように工夫しなければならないのだ。