今は大阪の西成に本部があるが、当時はミナミに本部があった酒梅組は、南道会と付き合いがあった関係でやらなかった。しかし逆に西成にあった互久楽会や淡熊会の賭場はとことん荒らして、最後は向こうの親分が出て来て頭を下げられたので、わしも場面を察して頭を下げて終わった。

若い人たちは知らないだろうが、当時の賭場には必ず客を逃がす裏口があった。手入れがあった場合には、組員が身体を張って客を守って裏口から誘導して逃がしていた。

わしの場合その裏口は、親分や賭場の責任者が金を渡してわしを賭場から帰す場所に使われていた。

今のヤクザは「甘えている」

あの当時はヤクザものの東映映画がバンバン上映されていて、それに出演していた高倉健なんかは世間でも大人気だった。映画館を出るなり肩で風を切るように歩き、見た目や気分だけはヤクザになりきっている人間がそこらじゅうにいた。

ミナミの道を歩けば、当時は山口組を始め、酒梅組、互久楽会、直嶋義友会、高村組、倭奈良組、松田組、砂子川組と、大小数え切れないくらいの組がひしめき合っていた。大阪でも特に金が動くミナミは群雄割拠で、毎日どこかで殴り合いやドスで刺される事件が起こっていた。

それを毎日のように目の当たりにしていたわしにとっては、今のヤクザは良く言えば紳士的、悪く言えば甘えているように感じる。

わしはネクタイの結び方さえ当時は分からなかった。ダボシャツとパッチに雪駄を履いて、寒い日はジャンパーを羽織って歩いていたような時代だ。そんな時代をミナミで過ごして、今のわしがある。

行き過ぎて詫びを入れたこともある。「行き過ぎました」と形を作り、許してくれたらそれで終わりだ。