「今のヤクザは甘えている」博打場を潰したり、タクシー会社を恐喝したことも…ヤクザを“66年”続けた男の「ヤバすぎる人生」(正島 光矩/Webオリジナル(外部転載)) 『ジギリ 組織に身体を懸けた極道人生』より #1

「今のヤクザは甘えている」と語るのは、極道の世界を66年わたり歩いた元ヤクザの正島光矩氏(1940年生まれ)だ。極道の世界の変遷を身をもって体感してきた氏が語る「昔のヤクザ」と「今のヤクザ」の違いとは? 彼らの生態から変遷までをつぶさに描いた異色の書『ジギリ 組織に身体を懸けた極道人生』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

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18歳で若頭、博打場を潰したことも

その頃大阪では喧嘩が絶えなかったが、南道会は大阪でも強い組織で、多くの有名な親分がいた。そしてそのなかで最大勢力だったのが白神組だった。

そんな白神組・若頭の稲本の若い衆ということで、わしは散々好きなようにやった。稲本が稲本組という事務所を出すことになり、わしはそこで若頭に任命された。18歳の頃だった。

自分の口から親分である稲本に若頭をさせてくれと頼み、若い衆は地元である九州から呼んだり、東京でヤクザをしていた知り合いに頼んで大阪に呼んだりした。若い衆は合わせて20人ほど集まった。しかし、そんな大勢を若い衆として組に入れたのはいいが、金になるシノギが無かった。わし個人にはそんな人数を食わせる余裕がまだ無かったのだ。

稲本も金はあまり無いので頼むわけにもいかない。そこで考えたのが、賭場荒らしだった。少年時代から恐喝をしていたわしが、一番手っ取り早いだろうと思ったのがそれだったのだ。

その頃、いろいろな組が毎日賭場を開いて博打をやっていた。

わしは目が読めない素人同然だから正攻法でいっても当然負ける。張る金がなくなると持っていたタバコを置き「これ何万」と張る。それもまた負けると、次はチャカをポンと置いて「これ10万」と、嫌がらせ(以下イヤキチ)を言う。ここまでくると、向こうも賭場を潰しに来ているのが分かる。

普通だったらその場で袋叩きにされるが、向こうはわしが白神組の稲本のところの若頭というのを知っているから、文句は誰ひとり言わない。つまるところ、ヤクザは力がすべてだからだ。

それを繰り返していたら最後は「すいません」と言われて、裏に連れて行かれて30万ぐらいをくれた。それを繰り返し、1軒の博打場を潰した記憶がある。