日テレの中継とラジオ放送が箱根を成長させた
現在、ラジオでの中継はNHKラジオ第一、文化放送、ラジオ日本で行われているが、昔とは違って各局とも日本テレビの映像を見ながら実況している。アナウンサー、解説者で番組のトーンを演出し、各中継所のレポートで独自色を出していく。1週間は追っかけ再生もできるので、勝負どころの実況がどんなものだったのか、自分が知らない情報はなかったか、レース後のレポートを聴くこともある。映像素材を見ながら話す前の時代は、文化放送はジープでコースを先回りしながら、生実況とレポートをしていたという。
いまは、仕事でつながりが出来た文化放送の事前番組「箱根駅伝への道」をよく聴いている。インタビューがテレビとはまた違っているので、いろいろと参考になる。
日本テレビの中継がなければ、これだけの大会に成長しなかったわけだが、それでもずっと中継を続けてきたラジオ局があったからこそ、私はこの仕事をしていると断言できる。
ラジオは箱根駅伝の窓であり、想像を広げてくれる装置だった。
最初は何度も生中継を却下された
私が早稲田大学に入学したのは1986年のことである。この年度は、箱根駅伝にとって大きな意味を持つことになる。
その年の暮れ、サークルの先輩の草間さん(千葉・市川高出身)と、同級生の松元(鹿児島高出身)が「年末年始は箱根でバイトだよ」と話しているのを聞いた。それが日本テレビの箱根駅伝のバイトだと知ったのは、後になってからのことである。
1987年、日本テレビは箱根駅伝の生中継を始めたことで、日本のスポーツ中継の歴史を変えることになる。それまで箱根駅伝をテレビで見られるのは、テレビ東京が1月3日に最終10区を中継するなど限られた機会しかなく、宮城県で生まれ育った私には高校時代まではラジオ中継を聴く以外に箱根駅伝に触れる手段はなかった。視聴者には想像すべくもないが、5区、6区の中継を実現するための技術的なハードルは想像を絶するものがあったという。生中継の生みの親である坂田信久プロデューサーは当時のことをこう振り返っている。
「最初は役員会で猛反対され、何度も却下されました。山中からの中継という技術面の問題に加え、『関東のローカル駅伝で全国の視聴率が取れるわけがない』『資金面はどうするんだ』など、色んな課題を突き付けられました」
視聴率は中継初年度に往路は18.7パーセント、復路が21.2パーセントと大台に乗った。役員会で「視聴率が取れるわけがない」と言っていた人は、なにを考えていたのだろうか? その後の視聴率は20パーセント台後半で推移していたが、2003年に駒大が優勝した時に復路で初めて30パーセントを超えた。
箱根駅伝のコンテンツとしての強さは21世紀に入ってからも続き、2021年に10区で駒大が創価大を大逆転した時は復路で33.7パーセントを記録し、これは過去最高視聴率となった(いずれもビデオリサーチ社関東地区視聴率)。