「爽やか」「華麗」とは真逆の泥臭さ

新型コロナウイルス禍になってからは、練習拠点のトロントに戻ることができず、地元の仙台で、たった一人で練習を続けた。

フィギュア界において、コーチ不在は異例の状況だった。そんな中で、誰も跳んだことがない4回転アクセルへの挑戦を続けた。その道のりは平坦なものではなく、羽生選手ですら「ひたすら暗闇を歩いているだけ」と表現するほどだった。

そして、北京五輪のショートでの不運に加え、フリー前日の公式練習での右足首捻挫……。心が折れそうな状況で、痛み止め注射を打ってリンクに立った絶対王者の右足は、もう着氷の衝撃に耐えられなかったのだ。

じつは右足首を負傷するまで、羽生選手は奇跡の3連覇を信じ、最後までもがくことを選んだ。そのことが見えたのが、フリー前日の公式練習だった。

現地で取材をした後輩記者と電話で話すと、このときの練習では、ジャンプ構成の一部を変えて基礎点を“極限”まで積み上げたのだという。右足が万全なら、自身最高難度のプログラムで巻き返しを期していた。

爽やかに、華麗に、そして毅然きぜんと美しく――。

多くの人が思い描く「羽生結弦」の肖像はそんなイメージであふれているだろう。

しかし、どんな天才であっても、そんなにスマートに栄光への道を渡ることはできない。一度なら天を味方につければかなうかもしれない。だが、10年にもわたる年月、シニアのトップスケーターとして君臨するには、ときに泥臭く、ときにしぶとく、最後まであがくことでしか届かないことがある。最後の努力、もう一歩の前進を貫くか、あきらめるか。

高難度のジャンプを極限まで挑み続けるか、投げ出すか。

繊細な表現をとことんまで突き詰めるか、妥協するか――。

記者として10年以上にわたって取材を続けてきた羽生選手は、常に前者を選択してきた。羽生選手の戦いの軌跡に魅了される理由は、決して努力を惜しまない人間性や常に前向きな姿勢に起因していることをあらためて思い知らされた。

そこにあるのは、勝ちに飢え、「戦い続ける男」の姿だった。

演目後にリンク上で天を見上げたワケ

フリーを滑り終えた羽生選手は、リンク上で天を見上げた。長きにわたる沈黙に何を思っていたのか。羽生選手だけの時間が流れていた。

あの瞬間、いつか五輪王者になってやると野望を胸に秘めた9歳の自分を重ねていたという。

「あのポーズには、じつは『天と地と』の天の意味も、自分の魂をパンと天に送るイメージもありました。9歳のときに滑っていた『ロシアより愛をこめて』というプログラムの最後は同じポーズです。あのときの自分と重ね合わせながら……、いろんな気持ちが渦巻いていたというか。あのポーズを終えて刀をしまうまで、リンクをはけるまでが、自分のプログラムのストーリーだったのかなと思います」