思うように時価総額が上がらなかった

ここから日本は空前の「対戦格闘ブーム」に沸く。SNK(本社・大阪府吹田市)はアーケード筐体『ネオジオ』の投入とともに、『餓狼伝説』(1991)や『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(1994)でストIIに応戦。

後にセガ『バーチャファイター』(1993)、ナムコ『鉄拳』(1994)など東京のゲーム会社によって3D格闘ゲームの波が生まれるまで、しばらく格闘ゲームは大阪の2つの会社が牽引していたのだ。

カプコンは96年3月期決算では純損益で26億円の赤字を計上している。ストIIブームが終息し、格闘ゲームに依存してきたカプコンの正念場だったが、そこから『バイオハザード』(1996)、『MARVEL VS. CAPCOM』(1998)、『逆転裁判』(2001)などがヒット。さらに2004年には、カプコン屈指のIP(知的財産、著作権)となる『モンスターハンター』が生まれた。

【図表】カプコン売り上げ・営利率

一方、ここから20年間、カプコンの時価総額は伸び悩むことになる。2003年に時価総額は創業以来最高の2500億円を超えるが、それを更新するのは2017年まで待たなければならない。

ゲーム会社としてヒット作は生み続けるものの、会社としての存在感はイマイチだったといえばいいだろうか。

2000年以降、「プレイステーション2」の登場で開発費が急騰したため、大手ゲーム会社による買収・合併が盛んに行われた。しかし、カプコンはその流れには乗らなかった。大手系では唯一、買収も合併もしていない開発会社となっている。そのため株式市場からの評価もそこまで高くはなかった。

「選択と集中」の中身

では、そんなカプコンはなぜ近年になって再び好調になっているのか。

それは、日本のゲームが世界トップだった90年代から2000年代初頭の有力IPに“選択と集中”をした結果である。

もちろん現在でもオリジナル作品を作り続けてはいる。ただ、最近は「バイオハザード」「モンスターハンター」「ストリートファイター」の3作品に焦点を絞り、各シリーズタイトルへの大型開発投資を行い、確実なヒットを得ることによって、会社の価値を急激に高めているのだ。

第35回東京国際映画祭で14年ぶりに復活した「黒澤明賞」の授賞式でプレゼンターを務めた株式会社カプコンの辻本憲三会長。同賞は世界の映画界に貢献した映画人を顕彰(=2022年10月29日、東京都千代田区の帝国ホテル)
第35回東京国際映画祭で14年ぶりに復活した「黒澤明賞」の授賞式でプレゼンターを務めた株式会社カプコンの辻本憲三会長。同賞は世界の映画界に貢献した映画人を顕彰(=2022年10月29日、東京都千代田区の帝国ホテル)

2010年代は世界ゲーム業界激動の時期である。エレクトロニック・アーツ(EA)やアクティビジョン・ブリザードなど、アメリカのゲーム会社の存在感が増した。

これには2つ理由がある。

まず、プレイステーション3の誕生以降、再び高騰した開発費を日本のメーカーは捻出できなかったことだ。日本のメーカーは、「ニンテンドーDS」や「Wii」といった機種向けのエコノミカルなIPタイトルの量産にシフトしていった。一方、資金力の豊富なアメリカの会社は、最新のハード向けのソフトを量産し、日米の差が広がっていった。

また、ゲームのオンライン化の波にも日本は乗り遅れた。国内のガチャベースのソーシャルゲームはそれなりの好業績をもたらしたが、それは国内だけの市場だ。世界のゲーム業界の潮流との距離はますます広がるばかりだった。