事を起こせば迷惑はかかる

いささか揚げ足を取るようですが、仕事が「回る」という言葉はちょっと曲者だと思っています。というのも「回る」というのは同じところをグルグルと動く回転運動のイメージです。

いわゆるルーティンワークであれば、「回る」ことは大切です。郵便配達は決められたエリアの中で、日々正確に配達をおこないます。大学の授業であれば、決まった内容を所定の時間数おこなうことで単位を出します。

「上の階の配達は面倒だからヤメ」とか「出勤するの面倒だから休講」とか言い出したら、それこそ迷惑がかかります。

ところが仕事において新しいことをする際には、このグルグル回る動きから外に飛び出る必要があります。そうなると周囲に迷惑がかかります。

たとえば人事部がより広汎な人材を獲得するため、新入社員の採用方法を変えることにしたとします。海外大学出身者や外国人、さらにキャリア採用の枠を広げるために社員からの紹介を増やしたり、試験や面接の評価を他部署にお願いしたりとなれば、たしかに負担は増えます。

迷惑を気にしては、競争には勝てない

新規事業開発のために既存部署から社員を集めれば、社内はもちろん得意先からも反対されることがあるでしょう。経費削減のためにいろいろな出費を減らせば、納入業者には痛手です。

どれもこれも、たしかに「迷惑をかける」といえばそうかもしれません。しかし、何か事を起こそうとすれば誰かの負担が生じることは当たり前です。

満員電車から降りるときには、人込みをかき分けなくては進めませんし、時にはドア際の人にいったんホームに降り立ってもらうこともあるでしょう。その時に、声をかけたりして摩擦を回避することもあれば、時には強引に進むこともある。仕事で新たな事を起こすというのはこういうイメージです。

ここにきて、自動車業界では電気エネルギーへのシフトが急速に進行しています。そうなると、既存の部品の中には不要となるものも出てきますから、下請け企業にとっては迷惑どころか死活問題になるでしょう。

しかし、「迷惑をかけられない」という発想では前に進まないはずです。そもそも、「迷惑をかけない」を第一義に考えていたら動かないことはたくさんありますし、それを気にしない競争相手には負けてしまうのです。

二人のビジネスマン
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本当に美徳のままでいいのか

その一方で「迷惑をかける」ということに無頓着な人もいます。自分が正しいと思ったことを進めていくので、当然にあつれきは起きます。そのため組織の中ではなかなか主流になれなかった印象です。

しかし、近年は相当変化してきたと思います。大企業でも改革が必要な局面では、「気配り上手」だと何もできなくなるからでしょう。

起業家には信じる道を進む人が圧倒的に多くなります。そうした人たちに対して老舗企業の人が、ときおり「お行儀が悪い」と言ったりしますが、暗黙の作法を当たり前だと思っていれば競争で後れをとるでしょう。

海外企業との競争でうまくいかないようなケースを見ていくと、こうしたことが実に多いことに気づきます。そもそも「迷惑をかけない」ということは、本当に美徳なのでしょうか?