会社の事情をよく知る“退職者”をリスナーに

現役の役職者は業務で成果を挙げなくてはならないので、なかなか部下一人ひとりの話をじっくり聞いている余裕がありません。

川村 孝『職場のメンタルヘルス・マネジメント 産業医が教える考え方と実践』(ちくま新書)
川村 孝『職場のメンタルヘルス・マネジメント 産業医が教える考え方と実践』(ちくま新書)

そこで、退職者を再雇用してリスナー(聞き役)とします。退職者は会社の事情をよく知っているし、退職していて相談した本人とは直接の利害関係がないため、相談相手として最適です。

リスナーは聞くのが職務です。

喋ってはいけない、というと言い過ぎですが、少なくとも黙々と聞く技術と忍耐が必要になります。

相手の言ったことを反復・要約しながら聞きます。

「先輩なのだから、よいことを言ってやらなくては」と思う必要はありません。本人は喋る中で問題点の整理ができ、解決法も自然に見つけられることが多いのです。

すなわち、リスナーは“鏡”です。本人が自分を見つめ直すための道具なのです。

だから、喋り好きは困ります。聞いているうちに「俺が現役の頃はなあ、……」と喋りだし、昔の手柄話で終わるというのは最悪のパターンです。

実は、このような立ち位置は心理カウンセラーと似ています。心理のカウンセリングには「傾聴的カウンセリング」と「治療的カウンセリング」があります。

前者は、とにかく「上手に聞く」のが仕事です。

産業医による上司面談の効果

京大で産業医をしていた時期に「部下の取り扱いに困った上司から相談を受ける制度」(管理者面談)をつくり、現在も契約する民間企業で同じようなことを行っています。

自分の部下について、「このところ休みがちだが理由がよくわからない」とか「ちょっと変わっていてどう接してよいかわからない」といったことで話を聞いてみると、部下が内因性うつ病だったり、自閉症的だったりすることもあるので、受診の勧め方や接し方のコツを伝授します。

個人面談中
写真=iStock.com/fizkes
※写真はイメージです

上司面談の後、当該の部下を呼んで面談し、特性や病状を確認して助言することも少なくありません。

初めて上司が来談するときは、できるだけ複数で来てもらうようにしています。

部下の問題点をさんざん述べるが当の上司のパーソナリティが少し歪んでいる場合もあり、同席者から事実関係のウラを取るためです。上司からの情報の事実確認のため、部下の以前の上司・同僚などから情報を得ることもあります(それが産業医の強み)。

上司と部下の人間関係は職場環境でもっとも基盤となるものですが、双方の心に余裕がないためトラブルが生じやすいものです。

こういった「ちょっと困ったな」の段階での面談は法令や行政指導では義務づけられていませんが、職場のトラブル防止のためにはとても有用です。

今まで私が早期に相談に乗った後に休職に至った例はなさそうです。

会社の安全配慮義務の一環として行いたいところです。

ただ、上司の面談の中で部下と上司の両方の心理特性を読み取らなくてはならないため、面談する産業医に“人を見る目”が必要です。この“目”を養うには、ある程度の人生経験が必要です。

川村 孝(かわむら・たかし)
産業医

1954年岐阜県生まれ。名古屋大学医学部卒業。名古屋、東京、静岡での病院勤務の後、愛知県総合保健センターで健診・健康増進業務に従事。1993年より名古屋大学予防医学教室助教授、名古屋市役所産業医。1999年より京都大学保健管理センター(現環境安全保健機構)所長・教授、京都大学健康管理医(法人化後は総括産業医)。2020年よりフリーランス。著書に『臨床研究の教科書』『エビデンスをつくる』(医学書院)、訳書にM・ジェニセック『EBM時代の症例報告』(医学書院)など。日本産業保健法学会副代表理事。2016年に保健文化賞を受賞。