獣医師の齊藤朋子さん(通称モコ先生)は「猫の殺処分ゼロ」
※本稿は、小学校高学年向けの児童書からの抜粋記事のため、漢字表記などが一般書とは異なります。
「モコ先生、やっぱり先週の猫、ダメでした」
獣医師であれば、一日に1~2匹の不妊去勢手術を行うことは練習によってそれなりにできるようになります。けれども野良猫を対象にした時、「一日の手術数」が大きなかべになるのです。一日に何十匹も手術をしていかなければ繁殖スピードをこえられず、野良猫の数が減らないのですが、モコ先生ほどの経験を積んでも一日に30匹以上も手術を行うのは大変なことでした。
茨城さくらねこクリニックでも、こんなことがありました。
「モコ先生、やっぱり先週の猫、ダメでした」
いつものように猫の手術を行うための準備をしていると、ボランティアの長谷川道子さんが近寄ってきて、そう言いました。モコ先生は長谷川さんの目を見つめ返します。
「ダメでしたって……あの妊娠中の猫のこと?」
モコ先生の問いに長谷川さんは顔を強張らせます。それから小さく首を縦にふり、視線を下に落としました。そして、
「次の日、冷たくなっていたんです」
聞き取れないほど小さな声で言いました。しばらくして顔を上げると、ぎこちない笑みをうかべています。
「じゃあ先生、今日もよろしくお願いします。私はあちらで準備しているので」
長谷川さんがかけていく後ろ姿を見送りながら、モコ先生はほおに温かいものが流れ落ちていくのを感じました。「またか」と思いました。またやってしまった。ポタン、ポタン……着がえのために手にしていたモコ先生の手術着に、水玉模様のような円いシミが次々にできていきます。
たった一人で1日に30匹も手術する
あれは一週間前のこと。その日もこの石岡市の「茨城さくらねこクリニック」の一室にはボランティアさんがたくさんの猫を運びこんでいました。今日も獣医師一人あたり30匹の猫を手術しなければいけません。午前9時から麻酔を打ち始め、どんどん手術に取りかかりますが、15匹くらいの手術を終えると、どの先生も顔に疲労の色がにじみでます。それはそうでしょう。普通の動物病院なら助手の人もいるのに、ここでは各先生がたった一人で30匹もうけ負うのです。
(足がつかれたなあ。おなかも空いた。座って、あまいものでも食べたいなあ)
その日、お昼を過ぎたころ、モコ先生は手術をしながらそんなことを考えていました。目の前に横たわっている猫は妊娠していたので、より慎重に手術を進めなくてはいけませんが、モコ先生は自分の右手がいつもより動きがにぶいのを感じていました。
(つかれた……でもまだたくさん手術がある。がんばらないと。ボランティアさんがおむかえに来る前に終わらせないと)