天才的なアイドル「アイ」の不在で求心力が生まれる

【推しの子】』では、アイの遺児であるアクアとルビーが芸能界で活躍していく姿を中心に物語が展開している。そして、アクアとルビーの両方の行動原理が、死によって不在となってしまった「アイ」にあることが重要だ。

二人の行動原理が「アイ」にあるため、芸能界で彼らに出会い、彼らに惹かれる人もまた、彼らとの会話で「アイ」について話し、彼らの演技や行動に「アイ」を見出していくことになる。不思議と目が離せなくなり、目を惹きつけてしまうアイの星のような瞳と重なるように、ルビーとアクアが才能を発揮したときに、二人の目の中に(アイと同じ)星の輝きを見つけるのだ。

キャラクターとしては退場しているにもかかわらず、物語に出てくる健在の人物は、みなアイという不在のアイドルを中心に動き、会話し、行動をなぞり、感情を動かしている。こうして「不在の中心」を置くというやり方は、物語に求心力を持たせる上で非常に強力だ。

©赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・【推しの子】製作委員会

死者や不在の人についての謎が視聴者を巻き込んでいく

有名どころでは、デイヴィット・リンチ監督の『ツイン・ピークス』シリーズ(1990-1991年)がそうだ。ツイン・ピークスというアメリカの自然豊かな架空の街で、湖畔にローラ・パーマーの遺体が打ち上げられる。群像劇であり、複数の物語が同時並行的に進んでいくのだが、結局話の中心は、「ローラ・パーマーの不在」にある。

誰がローラ・パーマーを殺したのか、彼女は死の直前まで何をしていたのか、彼女はなぜ殺されなければならなかったのか、彼女は何に巻き込まれていたのか、彼女は何を感じて、何を考えていたのか、ローラ・パーマーとは本当のところ何者なのか——。主に主人公を通して、視聴者もこうした疑問に巻き込まれていく。

同じ形を持った物語は多く、国内であれば、朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』(2010年)もこれに該当する。映画化もされた人気作だが、桐島は作中で1ミリも登場しない。ただ話題にされるだけだ。

中心に虚無が置かれると、無数の謎や疑問が湧き起こるにもかかわらず、中心には何もないので決定的な答えを得ることができない。だからこそ、謎の答えが気になり、それについて何か言いたくなる。こうした飢餓感が、物語へと視聴者を巻き込んでいくのだ。