さらなる偏見を生み出してしまう危険性がある

新宗教といっても、その実態はさまざまです。それなのに、新宗教が十把一からげに「被害を生み出す存在」として社会に再認識されてしまうこともあります(念のために断りを入れておきますが、これは「創価学会がなんら問題のない団体である」ということを主張するものではありません)。それは、看過かんかしてはならない事態だとぼくは考えています。

しかも、その影響は思わぬところに出ます。たとえば、それまで被害など意識したこともなかった宗教2世が、世間の偏見にさらされ、新たに被害を受けたり、生きづらさを抱えるようになったというケースが、少ないながらも発生しています。そこに、ぼくは葛藤を抱くのです。ぼく自身の「宗教2世にかんする語り」もまた、その流れを助長してしまう可能性をはらんでいるからです。

暗い背景の正面図に別のものの周りに多くの小さな白い紙の男性と社会的差別の概念
写真=iStock.com/Davizro
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宗教2世の被害は看過したくはない。だから、そこにクローズアップして声をあげたい。でも、そうすると、新たに生きづらさを抱く宗教2世が出てきてしまう。ぼくも、そこに加担してしまうかもしれない――こうした葛藤があるのです。

自死する友人もいれば、報道がきっかけで苦しむ友人も

宗教2世のなかには、被害に苦しみ、人生を台なしにされたと感じ、苦衷くちゅうのなかで孤独を味わっている人も多くいます。ひもじい思いをした人もいる。虐待を受けた人もいる。トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた人もいます。

ぼくの友人は、宗教2世としての経験を苦に、自死しました。ぼく自身も死にかけたし、長らくうつ病も経験しました。これが、現実です。この状況も、絶対に看過してはなりません。

一方で、創価学会ではない別の教団に所属する友人は、2022年来の宗教2世問題の影響で、まわりから「あいつ、○○(教団名)の信者らしいよ」と後ろ指をさされるようになって、悩んでいると語っていました。以前まで、そんなことはなかったのに……。おなじきっかけから、宗教をネタに学校でイジメにあいはじめた子もいます。これらは極端な例かもしれません。ですが、少なくとも新宗教のイメージはダウンしています。そこにイヤな思いを抱いている宗教2世もいます。

こういう側面をまったく無視して、宗教2世の被害を手放しで強調しつづけることは、ぼくの本意ではありません。このことを勘案かんあんしながら、ぼくは悩んでいます。が、やはりぼくとしては、結論的に「声をあげざるを得ない」と判断しました。そう判断したし、いうからには声を大にしていおうとも思いました。