建設費高騰と工期長期化で「景観」は二の次に…

――64年の東京オリンピックではどんな禍根を残したのでしょう。

いくつかありますが、あえてひとつ挙げるとすれば、効率性、経済性優先の都市開発の出発点というべき、首都高速道路による水辺破壊です。

たとえば、日本橋川に架かる江戸橋は、「帝都復興事業」でもっとも中小河川で費用をかけてつくられた橋梁です。しかし東京オリンピックを契機につくられた首都高速道路を上空すれすれに通すために、中柱が切られて3つの道路に覆われ、いまにも押しつぶされそうになっています。

昭和通り江戸橋付近
昭和通り江戸橋付近(写真=『関東大震災がつくった東京』より)

――「帝都復興事業」の特徴を教えてください。

橋梁の全景を見ることも難しい。首都高速道路が織りなす東京でもっとも醜い風景のように感じます。

――耐震、耐火だけではなく、美観にも配慮した「帝都復興計画」とは真逆の開発ですね。

江戸のシンボルだった隣の日本橋もそう。上を通る都心環状線の高架橋が低く、青銅製の2頭の麒麟を配した照明灯が、高架橋の函桁に挟み込まれてしまっています。当時、日本橋の景観が損なわれるから、高架橋をもっと高くできないか、と反対した都の職員もいたそうです。しかし建築費が高くなり、工期が延びるから、と無視された。

建物を強くするだけでは人の命は守れない

それは景観だけの問題ではありません。都度都度のイベントに便乗した経済性、効率性を重視したその場しのぎの無秩序な開発を続けたせいで、東京は関東大震災後に取り組んだ防災の機能も失ってしまった。

確かに、東京に建つ超高層ビルひとつひとつには耐震設計がほどこされています。だけど、建物を強くするだけで、災害から人を守れるのか。

いったん地震が発生したら、都心の高層ビルで働く人たちは帰宅困難者になってしまいます。帰宅が遅れるだけならばいい。でも超高層ビルで、働いたり、暮らしたりする人が一気に外に避難した場合どうなるのか。

関東大震災当時の東京市長だった永田秀次郎は「道を歩まんとすれば道幅が狭くて身動きもならぬ混雑で実に有らゆる困難に出遭った」と震災時を語っています。

当然、余震も起きる。あるいは、火災が発生するかもしれません。そんななか、冷静に整然と避難できるのか……。

それが難しいことは子どもだって分かるでしょう。