男女とも“総活躍”しても全然足りない
雇用や社会保障を考える上で、昨今の少子化とは様相を異にする状態です。
長らく日本の産業界は性別役割分担の下、男が働き女が家を守るという、男型産業社会でした。極論すれば、産業界は「男手」だけで成り立っていたと言えるでしょう。それが、少子化の深刻化とともに、社会は女性の労働を求めだし、パート労働→正社員労働→総合職雇用→管理職登用、と日に日に女性の取り込みを広げてきました。
仮に、この先、希望する女性をすべからく労働に誘うことができたとしましょう。
そうすれば、かつて人口は多かったけれど、社会はその半分の男しか使いこなせていなかったのですから、人口が激減した昨今でも男女ともに労働参加ができれば、生産力を維持できるはずです。こうした考えの基、数年前に「一億総活躍」などと呼ばれた社会シフトが起きたのでしょう。
ただ、それは出生数が半減レベルまでの対応策にしかなりえません。男女ともに働いたとしても、男だけ働く社会に対して、その労働量は2倍にしかならないのですから。年間出生数がかつての3分の1にまで落ち込んだ現在の状況では、もう、「総活躍社会」でも、帳尻が合わなくなり始めている……。少子化が異次元とまで呼ばれるその深刻さを、今一度、心しなくてはなりません。
底なしの少子化が問いかけること
底なしの少子化は、私たちに何を問いかけているのでしょうか?
妊娠・出産し、子を育てることが、どれだけ女性にとって負担が重いことか、どれだけ女性にとって人生上の大きな軋轢となりえるか、政治家も経済界のリーダー層も見えていなかったのではないでしょうか。それどころか「子どもを産み育てることは女性にとって幸せなことのはず」などという幻想を信じていたのではないでしょうか。
子どもを社会に出すまでに1人2000万円もかかるといわれるほど教育の責任が家庭に重くのしかかり、一方で家計を男手一人では担えないほど賃金は伸び悩んでいます。女性に共働きを求めるようになったのに、家事や育児や介護などのケア労働が女性に偏重する社会の空気はいまだ健在です。そんな罰ゲームのような環境の中で、子を持たない選択をする女性が増えるのは当然のことと言えるでしょう。
子どもを育てにくい社会をつくっておきながら、女性たちに無理を押し付けて甘えてきたのではなかったか、国力や生産性の観点から「危機だ」という前に、今一度、女性たちの「言葉なき主張」と向き合うべき時が来ているのではないでしょうか。