目指すべきは「互いの存在を否定しない環境」
私は「誰も傷つけないクラス」がいいと考えている。
学級づくりがうまい担任は、子どもの人間関係をうまく交通整理している。気が合う子、合わない子をよく理解し、ぶつかりそうな場合は適切な距離感を教える。みんなで遊ぶのが好きな子、一人で過ごすのが好きな子、いろいろな価値観をもった人がいると伝える。それを四月~六月ごろまでトラブルが起こるたびに継続して指導・助言することで、人間関係の交通整理をするのだ。
もめごとが起きたら、まず生徒から事情を聞いて、今後どうしたらトラブルを避けられるのかを一緒に考える。その中で、相手との関わり方を助言する。遊ぶグループを変えることや、授業以外ではあまり関わらないことを提案する。
子どもたちがお互いの特性を理解して、関わり方が分かれば、その後はみんなが自分らしく、傷つけ合うことなく、安心して過ごせるクラスに変化を遂げる。互いの存在を否定しない環境は、いじめを防ぐことにもつながる。みんなを仲良しにしなくても、温かい雰囲気のクラスは作れるのだ。
みんな仲良しクラスは目指さない。目指すべきは、誰も傷つけないクラス。適切な人との距離感を教える。これなら実現できる。
「協調性=集団に合わせること」ではない
子どもたちが集団生活で学ぶ意義は大きい。
学校で集団生活を送ることで、コミュニケーション能力などの協調性を身に付けられる。集団の中で自分はどのように立ち振る舞えばよいのか、どうすれば自分の能力を最大限発揮できるのかなど、将来職場のチームで働く上で大切なスキルが学べる。
ただし、これらを学ぶ意義を最大化するには、集団の中に個性を大切にし、尊重する文化が必要である。一つの集団の中に考え方や文化の違いがあってこそ、コミュニケーションの重要性が分かるのだ。
しかし、日本の学校は個性や違いを嫌う傾向にある。学校生活にはたくさんの規則があって、見た目、行動、勉強内容、勉強時間まで、みんな一緒を求められる。「集団に合わせる」ことが、集団生活で学ぶべき価値だと言わんばかりだ。この考えには真っ向から反対したい。
みんな一緒を求めることの大きな弊害が二つある。