きれいな机のエグゼクティブは仕事ができない!

そういう細やかなエピソードのなかでもとりわけ秀逸なのが「エグゼクティブの机」の話だ。きれいな机のエグゼクティブと、散らかっている机のエグゼクティブ、どちらが仕事ができるか。ジェニーンに言わせると、机の上がきれいに片付いているエグゼクティブはダメ。机の上がきれいなのは、やるべき仕事をどんどん他の人に委譲してしまっているから、というわけである。

「エグゼクティブとしてすることになっている仕事を本当にやっているなら、彼の机の上は散らかっているのが当然」とジェニーンは言う。「なぜなら、エグゼクティブの職業生活そのものが、“散らかった(雑然とした)”ものだからである」。ビジネスとは、前例のない、予想もできないことの連続であり、あらかじめ狙いを定めて取り組めるものではない。経営者の仕事は担当者のそれとは異なる。担当者であれば、自分の仕事の領分が決められている。これに対して、自分の仕事はここからここまで、と区切れないのが経営者の仕事。必要とあらばあらゆることに突っ込んでいかなければならない。

ジェニーンはきっちり将来の計画を立てて、そのとおりに経営しようとするやり方を、軽蔑的な意味をこめて「狙撃方式」と呼んでいる。たとえば、こういうのが狙撃方式だ。これからなにが一番重要になるか。それはエネルギー分野だ。だとしたら油性掘削事業が有望だろう。それをやっている会社のリストをつくって比較検討し、一番いいX社を買収しよう…。

ところが交渉に乗り出してみると、ほかの会社の戦略家たちも同じ理由からX社に狙いを定める。外的な機会をひととおり調べるだけでは、みんなだいたい同じことを考えているのである。その結果、買収価格はどんどんどんどん吊り上げられる。よしんば買収できたとして、それを何年で回収できるのか?その間に石油不足という問題自体が片付いてしまったらどうなるのか?要するに、経営というのは、誰にも等しく降りかかる機会をとらえて入口を定めるだけではだめで、達成するべき成果、最終的な出口を見極めて、そこから逆算して考えなくてはならないということだ。

ジェニーンは対照的な事例として、ハイスクール出のトラック運転手が築いた工作機械の会社の話をしている。この運転手は、会社をつくりあげていく試行錯誤のなかで、縁があったスクラップ集積場を安値で購入して多くの利益を上げた。このくず置き場が稼ぐ1ルも、石油掘削会社が稼ぐ1ドルも、同じ1ドルである。ならば投資利益率の大きいのはどちらのほうか? これを考えるのが経営である。ジェニーンに言わせれば、このトラック運転手は、たまたま訪れた機会を捉え、誰も目をつけていなかったビジネスに算入した。一方、きれいな机のエグゼクティブは、机上で最大の投資収益をもたらしそうな買収などの「ビッグ・イベント」にこだわるため、いまそこにある潜在的な好機を見逃してしまう。要するに、いついかなるときでも商売の本筋を自分の目と頭で見極める姿勢こそが大切で、その姿勢をキープしようと思えば机の上はおのずと散らかってしまうということだ。

ジェニーンはたしかに厳しい人だが、自分にも大いに厳しい。その職業生活は徹底した自己献身に貫かれている。自らを犠牲にしてでも成果を出す。冒頭にも書いたが、経営者をめざす人は、絶対にこの本を読むべきだ。そして、彼のような仕事が自分にできるだろうかと自問してほしい。