皇室制度が乱暴に変更されるところだった

報告書では、女帝女系を認めるだけでなく、男女に限らず第一子優先という、祭祀は長男が相続するという一般社会の習慣とも齟齬を来す大胆な提案をする一方、旧皇族の復帰については可能性の検討すらしませんでした。

一般的に、君主の継承原則を変更する場合、正統性を確保するためには、最低限の変更にとどめ、公正慎重であるべきなのですが、乱暴な進め方でしたので、反発の声が湧き上がりました。

それでも小泉首相は強気に皇室典範改正へ進もうとしましたが、2005年に秋篠宮妃殿下の懐妊が明らかになり、2006年9月に悠仁さまが誕生されたので、報告は前提条件を失って意味がなくなりました。

このとき、小泉首相を最終的に翻意させたのは、「すでに生を享けられ皇位継承権を持つ方を外すのはいかがなものか」という安倍さんの一言だったといわれます。

日本の皇居
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女性宮家論の野田内閣から安倍内閣へ

その後、悠仁さまの成長に従って、悠仁さまを押しのけて愛子さまという声は、少なくとも政治家のあいだでは少なくなりましたが、悠仁さまにお子様ができなかった場合のために、女性宮家を創設して、その夫や子どもを皇族にするという女性宮家論を民主党の野田内閣が推進していました。

ここで政権交代が起こり、第二次安倍内閣が発足。この案が実現していたら、今ごろ、眞子さまと結婚した小室圭氏も「殿下」となり、将来は、天皇にはならなくても、可能性としては摂政宮殿下になることもあり得たわけで、それが阻止できて本当によかったと思います。

ところが、安倍政権の時代には、皇位継承問題に取り組む前に、平成の陛下が生前に退位したいとおっしゃる問題が起きました。

2015年8月8日、陛下は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をビデオメッセージとして発せられ、退位の希望を強くにじませられました。