<大学全入時代と言われる一方で、学費の負担は重くのしかかって――:岩澤里美>
散らばっているコイン
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日本の教育費は高額だ。そのため独立行政法人日本学生支援機構(以下、JASSO)の奨学金を利用する学生は多い。JASSOの調査(JASSO学生生活調査、24ページ)によると、2020年度は大学生の38.9%が奨学金を借りた(給付+貸与、併用貸与……無利子の第1種と有利子の第2種、第1種貸与、第2種貸与の合計)。

毎月いくら借りていたかにより、貸与総額は約100万~500万円以上と幅がある。卒業後、それを月額1万円弱~2万円強にして10~20年かけて返すが、返済が困難になってしまう人もいる。その催促は厳しく、返済しなければ、たとえ海外に住んでいても「返済せよ」と通知が追いかけてくる。日本で大学院まで通い、今はヨーロッパで暮らすK氏がその実態を語ってくれた。

バイトしながら勉強 ロールパン1個で食べつないだ日も

K氏は母子家庭で育った。経済的余裕がなく奨学金を借りて高校に通った。成績優秀で、大学は学費が半額になる特待生枠に合格した。母親との約束で、寮費、生活費、学業にかかる一切の費用を自分で賄うことに。K氏は再び奨学金を借り、授業のない時間の多くをバイトに費やした。

究極に苦しい時期には使えるお金が数百円さえなく、食事はロールパン1個という日もあった。そんなときはバイト先でレジ内に詰まった現金を見て、「このお金があったら、満足に食べられるのに」と何度も思ったそうだ。空腹感はとてつもなかったが、敬虔なクリスチャンのK氏は、母の教訓の「武士は食わねど高楊枝」の言葉も思い出し強い精神力で耐えた。

コロナで失業、返済困難に

K氏は在学中に夢だった留学を果たし(資金は全給付)、目標としていた海外青年協力隊参加も卒業と同時に実現できた。ときに体調を崩しつつも、バイトに授業、それらの準備に全力疾走していた様子を聞けば、報われて当然だったともいえる。

そして協力隊から帰国後に就職し、奨学金の返済が始まったが、国際協力の分野でもっと活躍するには大学院で学ばなくてはと進学を決めた。やはり成績優秀で、大学院にも学費半額の特待生で入学。K氏はJASSOから3度目の奨学金を借りた。大学院在学中は、高校・大学時の奨学金の返済は保留(返還期限猶予)できた。

院を終了したK氏は国際協力の仕事に就き、奨学金の返済を再開した。数年後に転機が訪れた。人生のパートナーとともに海外移住を決め、現地国でパート勤務後、パートナーと共に起業したのだ。奨学金の返済は当然のことだったから海外にいても払い続けていた。しかし経営が悪化し、返済に手が回らなくなってしまった。返済保留手続きを再度取ったのはよかったが、問題はその後に起きた。

経営がさらに傾き、パートナーと別れ、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、事業を支えようと続けていた副業先から解雇されてしまったのだ。月約3万円の失業手当は給付されたものの、住む家を失って友人宅に長期間滞在せざるを得なくなった。