注意すべきは考えていることを読み取られないようにしている相手

もっと注意が必要になるのは、考えていることを読み取られないようにしている相手です。

世の中には、たとえば、自分を単身赴任させた上司のことを(それまでと変わらず)好きなままでいる人がいます。

何年間も家族と離れて働かなくてはならないのに、それを決定した上司のことを「自分をよく評価してくれる『いい人』」と信じて疑っていないようなケースです。

木製ブロックの文字で、偽善者の単語が並ぶ
写真=iStock.com/patpitchaya
※写真はイメージです

フレンドリーでもいい人とは限らない

私自身、あるところで長年もらっていた仕事を、新しく上司のような立場になった人に段階的に減らされていたのですが、相変わらず、その人のことを「自分を思いやってくれる尊敬できる人」と考えていたことがありました。

しかし、あるときにハッと気づいたのです。「自分から仕事を奪っているこの人は、全然いい人ではない」と。

私は、その人の前任者は、私との仕事にあまり熱心ではないと感じていましたし、その前の前任者に至っては、(正直なところ)自分のことしか考えていない人と思っていました。

しかしあらためて考えてみると、両人とも、それぞれ何年もの間、私に多くの仕事の機会を与えてくれて、それを減らそうとしたことは一度もなかったのです。これは私にとって重要で、ありがたいことでした。

私の仕事の機会を減らしている人とは10年以上の付き合いで、ずっとフレンドリーに接してもらってきました。温厚な性格で、仕事を減らす際にも、その都度、丁寧な事情説明をしてくれていたため、私は何も疑うことすらしていなかったのです。

これに気づいていなければ、(現実にはあり得ないことですが、)この人から単身赴任を命ぜられることがあっても、私は不審にすら思わず、むしろありがたがっていたかもしれません。

したたかで手ごわい相手というのは、自分をいい人だと思わせたまま、手厳しいことをしてきます。

私には、20代の頃に職場でお世話になった上司がいて、当時は特別に優遇されていると感じ、感謝していました。しかし、後になってみると、残念ながら「かなりいいように利用されていた面があった」ことにも気づいたのです。

上司のほうが上手うわてだったわけですが、彼が何を考え、どう見せかけていたかを、当時の私はまるで察知できていなかったのです。