貧しい家庭のあいだで繰り返されてきた

娘が直面するであろう過酷な運命を知りつつ、寺院に奉仕する尊い役割を担ったのだと自分に言い聞かせ、娘の身柄と引き換えに得た金銭で生き延びる。こうした行為は、貧しい家庭のあいだで世代を超えて繰り返されている。

1890年代に撮影された「ムハンマドの踊る少女」のスタジオ ポートレート
1890年代に撮影された「ムハンマドの踊る少女」のスタジオ ポートレート(写真=FWP/ebay/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ガーディアン紙は「現代ではこの制度は、貧困に苦しむ親たちが娘という重荷を下ろす手段とみなされている」と指摘する。

女性ばかりが身売りの対象となっている背景に、インドにおける結婚制度が影響している。女性側の家族は結婚にあたり、男性側の家族に多額の結納金を納める伝統がある。

APF通信は、人間との結婚が禁じられるデーヴァダーシーの役に就かせれば、結納金を避け、さらに男性側の家庭から一時的に金銭を得ることができると指摘している。

貧困家庭にとってやむを得ない選択ではあるが、娘の人生を奈落の底に突き落とす選択でもある。17歳で2人の子供を産んだというシトゥヴァさんは、儀式の悲しい瞬間をAFP通信に語っている。

「人が結婚するときは、花嫁と花婿がいるものです。私は独りなのだと気づき、涙がこぼれ出しました」

“巫女”をやめても1日1ドルを稼ぐのが精いっぱい

元デーヴァダーシーの女性のなかには、自分の人生を取り戻そうとする人々もいる。

母親の兄に買われたビマッパさんの場合、性的な奴隷として人生の大切な数年間を奪われたのち、デーヴァダーシーの役割を抜け出した。しかし、教育を受ける機会を逃した彼女にとって、畑に出て1日1ドルを稼ぐのが精いっぱいだ。

インドの踊り子たち
インドの踊り子たち(写真=LOC/Bain News Service/PD-Bain/Wikimedia Commons

彼女はAFP通信の取材に対し、「私がデーヴァダーシーでなければ、家族も子供もいて、いくぶんのお金もあったでしょうに。もっとよい人生があったでしょうに」と唇を噛む。

彼女に限らず、40代半ばを迎えたデーヴァダーシーたちには、残酷な運命が待ち受ける。ガーディアン紙は、ほとんどのデーヴァダーシーは寺院で余生を送ることになると説明している。しかし、想像できるような巫女としての生活とはほど遠い。

65歳で盲目のチェナワさんは、寺院で物乞いとして生きることを余儀なくされた。信者が分け与えるわずかな食料だけが頼りだ。

チェナワさんはかつて、女神と共に生きる運命を誇りに思ったという。ガーディアン紙に対し、「イエラマと共にあることが幸せだったのです」と語っている。「母を、妹を、弟を(経済的に)支えました」

だが、いまやその感情は尽きた。ほとんど空っぽの物乞いの椀を抱え、彼女は打ち明ける。

「自身もデーヴァダーシーだった母ですが、私を女神イエラマに捧げたのです。そして私は路上に捨てられ、蹴られ、打たれ、陵辱されました。女神なんてもういらない。ただただ死なせてもらえないでしょうか」