2004年、新研修医制度で始まった地方医療崩壊
地方の医師不足の引き金になったのが、2004年度から開始された新研修医制度である。それまで新人医師は慣習的に母校の「産婦人科」「内科」などの医局に属す者が多数派だったが、卒後2年間は医局に属さず「内科4カ月→外科2カ月→産婦人科2カ月……」のような総合的研修を受けることが法律で義務化された。同時に、若手医師は封建的な大学病院を嫌って、都市部の一般病院で研修する者が増えていった。
この制度は若手医師の意識も大きく変えた。「17時以降は本人の同意のない時間外業務は不可」「体調不良時は最大年90日休職可」「厳しい叱責は厳禁」という厚生労働省のガイドラインが制定され、若手医師は「下っ端」から一転、「お客様」扱いされるようになった。
「メジャー科」と呼ばれ花形だった外科や、産婦人科のような多忙科は敬遠され、「マイナー科」と呼ばれる眼科や皮膚科のようにラクで将来的に開業しやすい診療科が大人気となった。「奉仕の精神」「医師としての使命」よりも、「契約と報酬」「コスパ」を重視する者が増えていった。
2003年度には72.5%の新人医師が大学病院でキャリアをスタートさせていたが、その割合は低下の一途をたどり、2023年度には36.5%と過去最低を更新した。そして、大学医局から医師派遣を受けていた遠軽厚生病院のような地方病院は、深刻な医師不足に苦しむようになった。しかしながら、厚労省がこの制度を中止する気配はない。
2006年、福島県立大野病院で産科医逮捕
産科医についてはさらに、2006年の福島県立大野病院での妊婦死亡に関して、業務上過失致死として産科医が逮捕された事件のインパクトが大きい。そもそも分娩とはいつ始まるか判らず24時間対応が必須となるのに加えて、死産や母体死亡のリスクはゼロではない。
しかしながら「地方の人手不足の病院であっても、患者が死亡すると容赦なく逮捕される」という現実は、若手医師の産婦人科希望者を大いに減らした。2008年には無罪判決を得たものの、産婦人科不人気は続き、数少ない産婦人科医は「都市部の医師数が多く交代制勤務の確立された病院」や「分娩を扱わない婦人科専門病院」を好むようになった。
三重県尾鷲市の年収5520万円産科医が話題になったのも、この頃である。
2022年にも石川県輪島市で一人常勤の産科医が勤務する病院で、「不適切な医療で新生児が死亡した」として病院側が5800万円の損害賠償金を支払っている。「地方の人手不足病院でも不幸な結果になれば、容赦なく訴えられる」事実は今でも不変のようだ。