私が営業に出て1年目、年末の最終日に集金でお得意さんを訪ねたときのことです。午後3時も近づき手形の入金の処理をしなくてはと気が急いていた。そのため、先方の社長の顔を遠くに見かけ会釈をしたが、出向いてまで挨拶をしなかった。帰りがけに担当者が「あいつ伊藤忠やろ。絶対に彼から買わん」と社長が怒っていると教えてくれた。慌ててエレベーターで5階まで上がったところ、ドアが開くと社長が社員に年末の挨拶をしていた。そこへ私がパッと出たものだから、みんなの目が集中したんです。そのとき私は、「えらいすみませんでした」とひれ伏すばかりに頭を下げ、実は挨拶をしたけれど社長に見てもらえなくて申しわけなかったと詫びたんです。社長もびっくりしたでしょうし、まさかみんなが見ている中で「じゃかましいわ」と言うわけにもいかなかったんでしょう。それ以後、その社長からとても信頼をもらって、大きな商いができました。
それと繊維衣料品部に配属になったときのことです。クレームが多いことで社内でも有名な顧客の担当になって間もないときに、その顧客が、わが社が卸したイタリア製スーツのシルクの裏地が汗で色落ちすると言ってきた。私は先方に出向き、まず最初に「えらい迷惑をかけました。商品を全部返品してください」と切り出した。こうした場合、会社の損失を最小限にするために営業マンは返品にならないよう交渉するものです。でも、先方はクレームを付けて値引きさせ売りさばこうと考えていたようで、返品したら商売にならない。まさか全部引き取るとは思わず、意表をつかれたわけです。で、相手にとってもいいような形で話をまとめ、以後、その顧客は私を全面的に信用してくれるようになった。それからはいっさいクレームがなくなりました。
何回もクレームを付けるのは、相手が信用できずに自分の力を見せつけて、押さえつけようとするため。ところが信頼関係があって、何かあったときには聞いてくれると思えば言わないものです。このときは私にも案があり、保険での求償を考えていた。営業マンには、自社の中を説得する力量も問われる。会社からも顧客からも「あいつに任せておけば大丈夫」と信頼されていれば、話が苦手でも仕事は後からついてくるものです。
※すべて雑誌掲載当時