注目されるが再生数が増えない皮肉

では、なぜ再生数が下がりながらも、発信力や存在感を保っているのか。

それは、ゆたぼんの動画を記事化するネットメディアによるところが大きい。PVを生命線にしているネットメディアは、「いかに多くの記事を、いかに早く、いかにインパクトをつけてアップできるか」に力を注いでいる編集部が多く、ゆたぼんは格好のターゲットとなる。

暗い部屋でノートパソコンを使う手元
写真=iStock.com/chrispecoraro
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それまで芸能人のみに求められていた品行方正さをYouTuberにも求める風潮が広がり、彼らの言動は明らかに大人しくなった。芸能人も人気YouTuberも記事になるような言動をしなくなる中、子どもならではの無知や無謀、間違いや危うさ、露悪的な演出が変わらないゆたぼんをネットメディアが狙うのは自然な流れに見える。

さらに言えば、ネットメディアの編集者たちが「批判したくなる記事や、アンチが飛びつくような記事を書けばPVが上がりやすい」ことを知っていることが大きい。その意味で現在、ゆたぼん以上の発信数やアンチを持つ存在はいないのだろう。

ポジティブに捉えるのなら、「人から白い目で見られ、笑われることを恐れず、ピエロになり切れる」ことが評価されているのかもしれない。

ただこのところ、「ネットメディアの記事を見るだけで、ゆたぼんの動画を見ずに終わる」というケースが増え、再生数が伸びないのが皮肉なところ。本人はネットメディアの切り取り記事に複雑な心境なのではないか。

前述したように多数の論点を生み出しているため、すぐにゆたぼんの記事が消滅することはないだろう。しかし、批判を前提にした動画をアップしている以上、ゆたぼんの言動が健全な議論につながる可能性は見いだしづらい。

大人のフォローがまだまだ必要

ゆたぼんは本当の意味で、全国の不登校児童に勇気や希望を与えられる存在になれるのか。

現在のような活動スタイルは、「歩みはじめたら後戻りできない」ものではなく、「いつか戻ってこなければいけない」ものに見える。ならば、そのタイミングはいつなのか。代わりにどんなものを見せていくのか。

まもなく義務教育を終える年齢になり、この先「少年」を名乗りづらくなっていくだろう。再生数が下がっている上に、重要な武器を失うだけに、それに代わるものを少しでも早く見せていきたいところだ。現在はボクシングに励んでいるようだが、さまざまな可能性がある14歳のゆたぼんには、やはり大人たちのフォローが必要ではないか。

14歳の誕生日パーティーには多くの大人たちが訪れていた。しかし、その中にゆたぼんの話や要望を聞くだけでなく、学びをうながす言葉をかけられる人がどれだけいたのか。ゆたぼんに乗っかって稼ごうとしているだけではないのか。その動画は、心配はしても、安心できそうなムードはない。