癒やしキャラ和田義盛の壮絶な最期
陰謀渦巻き、権謀術数あふれ、要人が次々と命を奪われていく『鎌倉殿の13人』は、歴代のNHK大河ドラマのなかでもとりわけ暗い。そんななかで癒やしキャラを一身に引き受けているのが、横田栄司演じる和田義盛である。
まるで達磨のようにあごひげを生やし、常に着物の袖や裾をまくり上げて、朴訥として田舎者丸出しだが、それが「かわいい」と評判なのだ。
ドラマのなかでも、3代将軍実朝が気分転換に出かける先は、和田義盛邸と決まっている。
そして、実朝に「親しみを込めて『武衛(宮城の警備を司る兵衛府とその官職の中国風の呼び名)』と呼んでいいですか?」と、間抜けな問いかけをし、実朝から、武衛とは親しみを込めて呼ぶ呼び名ではないし、それに自分の官職は「いまはそれより上の羽林(近衛府の中国府の呼び名)だ」と言われると、さっそく「参りましょう、ウリン!」と応じる。
そんな、観ていてつい微笑んでしまう場面が多い。だれもが疑心暗鬼になっている鎌倉で、義盛だけが唯一、清涼剤と呼べるような存在として描かれ、視聴者を「癒やし」ている。
しかし、その「かわいい」と評判の「癒やしキャラ」が、謀略の末に殺された比企能員や罪もないのに滅ぼされた畠山重忠と比較にならないほど、凄惨な最期を遂げるのだ。
北条義時に警戒されたきっかけ
きっかけは承元3年(1209)5月、和田義盛が実朝に、上総介(上総国の国司筆頭、つまり長官。他国では“守”が長官だが、親王が守を務める上総で“介”が長官)に推挙してほしいと願い出たことだった。
実朝から相談を受けた政子は、源氏以外の御家人が国司になることは、頼朝の時代から禁じられているからと反対した。しかし、納得がいかない義盛は、大江広元にも嘆願書を出している。
たしかに頼朝が決めたことは重い。とはいえ、義盛が上総介への任官を望むのも、反対されて納得がいかないのも、わからないではない。北条一族は時政が遠江守になったのを皮切りに、義時は相模守、時房は武蔵守になっていたのだ。
将軍の縁戚とはいえ源氏ではない北条が続々と国司に任命されているのに、頼朝の挙兵以来、長く幕府のために働いてきた自分に、その権利がないわけがない。義盛がそう思っても不思議ではない。
義盛にはコンプレックスと裏返しの自負もあったはずだ。自分が属する三浦一族の総領は、ひと回り以上年下と思われる三浦義村だが、侍所別当として長年、御家人を統括してきたのは義村ではなく自分である。そして、そんな自分が北条に対抗するには、上総介になるしかないと考えたのだろう。
だが、実朝がためらっているうちに、後鳥羽上皇に仕える藤原秀康が上総介に任命されてしまい、義盛の望みはかなわなかった。結局、義盛が上総介への推挙を願い出たことは、北条義時に警戒心を抱かせただけで終わってしまった。