史料に残る政子の行動
鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』には、政子の演説の言葉が掲載されていますが、自ら語りかけたわけではありません。安達景盛(頼朝に仕えた安達盛長の子)に代読させています。政子は御簾の中にいたと思われます。
ドラマの政子演説であったような「この人(義時)は生真面目なのです。すべてこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません」「選ぶ道は二つ。未来永劫、西のいいなりになるか、戦って坂東武者の世をつくるか。ならば、答えは決まっています」との文句は『吾妻鏡』には当然ありません。
「鎌倉殿の13人」では、姉・政子が弟・義時を守るため、演説したようにも見えましたが、そんなことはなかったのです。ドラマは、政子と義時を主軸としてきましたので、あえて、そのようなフィクションを交えて、姉弟の情愛を描いたのでしょう。
『吾妻鏡』における政子演説の軸は、源氏将軍の御恩を説き、御家人を感奮・出撃させ、院方の首謀者である藤原秀康、三浦胤義らを討ち取ることにありました。
そこで、弟・義時の命うんぬんの言葉が出てきたら、おそらく、御家人たちは白けてしまった可能性もあります。