人生はいつでも途中経過ではなく本番だ

<質問3>

ありのままの自分ではなく「あるべき自分」に縛られているのは、どんな部分だろうか?

有限性に直面するのを避ける方法として、もうひとつありがちなのが、現在の生活を「いつかそうなるべき自分」への途中経過と捉える態度だ。今が人生本番であるという気まずい真実から目をそらし、親や世の中の期待に応えられる自分になるまでは、準備段階のつもりでいるのだ。

いつか正しい自分になれたら、そのときこそ人生はもっと安心で確実なものになるだろう。

こういう態度は、一見わかりにくい形で現れることもある。たとえば政治や地球環境の危機が解決するまでは、楽しみを先延ばしにしようという生き方だ。

地球の大問題と立ち向かう以外に、やるべきことなど何もない。それを放置して人生を楽しむなんて、利己的だしまちがっているじゃないか、と。

どちらも「あるべき自分」を想定し、それを誰かに認めてもらおうとしている点では大差ない。しかし、いつまでも他人の承認を求めていていいのだろうか。

心理療法家のスティーブン・コープは言う。

「人はある年齢になると、衝撃的なことに、自分がどんな生き方をしようと誰も気にしていないことに気づく。人の期待に応えることばかり考え、自分を後回しにしてきた人にとって、これは非常に恐ろしい発見だ。自分のことを気にしているのは自分だけなのである」

安心するために誰かに認めてもらおうという試みは、はじめから無駄で、不要なものだったのだ。なぜ無駄かというと、人生はつねに不確かで思い通りにならないからだ。そしてなぜ不要かというと、誰かに認めてもらうまで生きはじめるのを待つ必要なんかどこにもないからだ。

心の安らぎと解放は、承認を得ることからではなく、「たとえ承認を得ても安心など手に入らない」という現実に屈することから得られる。

誰に認めてもらわなくても、自分はここにいていい。

そう思えたときに、人は本当の意味で、善く生きられるのだと僕は思う。

時間をどうやって過ごすと「楽しいか」を問い続ける

「こうあるべき」というプレッシャーから自由になれば、今ここにいる自分と向き合うことができる。自分の強みや弱み、才能や情熱を認め、その導きのままに進んでいくことができる。

オリバー・バークマン著、高橋璃子訳『限りある時間の使い方』(かんき出版)
オリバー・バークマン著、高橋璃子訳『限りある時間の使い方』(かんき出版)

危機的な世界を救いたいというあなたの情熱は、ひょっとすると政治や社会運動を通じてではなく、親戚のお年寄りの世話をしたり、作曲をしたり、お菓子を焼いたりすることを通じて実現できるかもしれない。

僕の義理の弟は、ラグビー選手みたいにたくましい南アフリカ人でありながら、バターと砂糖で繊細なフロスティングを施し、受けとる人に驚きと喜びを与えるようなパティシエとして働いている。そんな些細な行動こそ、危機に直面した世界へのささやかな貢献になるかもしれない。

瞑想指導者スーザン・パイヴァーは、時間をどうやって過ごしたら「楽しいか」という不慣れな質問が、なんだか居心地の悪いものであることを指摘する。けれど少なくとも、その答えを頭ごなしに否定しないでほしい。

自分が楽しいと思えることが、最善の時間の使い方かもしれないのだから。

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