日本語で一番使い方の難しい言葉「がんばれ」

「がんばれ」の語源は諸説あります。一般的なものが、「我に張る」。自我を押し通すという意味です。もうひとつ、「眼張る」と、「自分を見張る」という説もあります。いずれにせよ、状況が苦しくても自分に負けるな! というのが本来の意味です。

私たちは、「あなたのことを応援しているよ」といったニュアンスで、「がんばれ!」と挨拶のように使っている。でも、これにプレッシャーや不快感を覚える人は、たくさんいます。

私もそのひとりです。6年前に腎臓がんに侵されました。手術前の不安な時期に、「がんばって」とずいぶん声を掛けられたものです。悪気がないのは分かっています。しかし、病に対して、どうすれば自分を押し通すことができるのでしょうか。いや、それ以上に、自分はもう精いっぱいの苦しい状況にいる。不安と恐怖と闘いながら、自分なりには負けずにやっているつもりです。そこに浴びせられる「がんばれ」は、「まだまだ努力が足りないよ」と言われるような残酷さを感じたものです。

声を掛けてくれた人にそんな思いはひとつもないでしょう。そこが、「がんばれ」という言葉の恐ろしさなのです。言った側と受け取る側とに、大きなギャップを生んでしまう。だから「がんばれ」は、日本語で一番、使い方の難しい言葉だと私は考えます。

さらに残酷なのが「もっと、がんばれるでしょ」

その「がんばれ」の残酷さに、さらに拍車をかけるのが、

「もっと、がんばれるでしょ」

自分なりに精いっぱい努力してつくった企画書を上司に見せたところ、あれこれ不備を指摘され、修正を命じられた。その揚げ句、「もっと、がんばれるでしょ」と言われたところを想像してみてください。

拳を持つ怒っているビジネスマン
写真=iStock.com/takasuu
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上司には、「おまえなら、もっとできるはずだ」というエールを送る気持ちがあったのかもしれません。しかし、言われたほうにとっては、「おまえは怠けている」と非難されたようにしか感じられない。相手に相当なプレッシャーをかけていることになります。使わないのが賢明ですね。