コロナ禍で機会を奪われ、学生最後の舞台をも奪われた部員の絶望

連帯責任に関する以上のような問題意識は、アカデミックな学びによるところもあるが、私のスポーツ経験によるところも大きい。この度、筆をとったのは私が同志社大学の卒業生であるからではなく、また、アメリカンフットボールという競技を擁護するためでもない。アメリカンフットボールの経験はなく、特に思い入れがあるわけでない。私は大学の4年間、トライアスロンクラブに所属し、日本学生トライアスロン選手権(インカレ)で上位を目指すことを中心に、学生生活を送った。

現在は所属する大学で、トライアスロン部の監督・顧問を務めている。今月はインカレへ出場する部員と母校の部員の応援のため、15年ぶりに試合会場に足を運んだ。他大学の学生も含めてインカレは特別な舞台であり、最後のインカレとなる4年生にとってはより特別な舞台になっており、私が選手であった時代から変わっていなかった。

観戦の最中、一連の事件のために学生生活最後の舞台に立つことが許されなくなった、他のアメリカンフットボール部員が頭をよぎった。彼らはこの2年間、コロナ禍で晴れの舞台に立つことを奪われ続けてきた前提もある。幸いにも私は大学4年生の最後のインカレは、これまでのレースの中で最も良いパフォーマンスを発揮できた大会となった。仮にその当時、同じチームのメンバーによる不祥事により、最後のインカレを絶たれていたとしたら、その後、どのような人生を送っていたのだろうと、15年ぶりに訪れた試合会場で考えさせられた。

東京五輪の汚職は「連帯責任」ではないのか

現在、五輪汚職が底沼の様相を呈している。莫大な税金が投じられた五輪において、連帯責任ではなく、当事者として責任を問われるべき方たちの責任は全く問われていない。そのような状況の中、東京五輪の招致・開催に関わった方たちが恥ずかしげもなく、2030年の札幌五輪への招致運動を進めている姿には、怒りを禁じえない。

また、五輪の招致・開催の一翼を担った、選手や監督達から声は上がってこない。競泳男子五輪メダリストの松田丈志氏が苦言を呈されたように、汚職事件にアスリートは沈黙を貫いている。上述のように、黙認という行為にも責任は生じる。

倫理的に問題のある行動を起こし続けたプロ野球選手や俳優を雇用する球団や事務所はもとより、その所業を知っていながら制止しなかった知人の連帯責任はないのか。運動部活動においては厳しい連帯責任が求められる一方で、社会人において責任が問われない現状は極めてアンフェアであり、教育的にも好ましくない。

連帯責任の問題は、運動部活動やスポーツに関してのみ顕在化してくるわけではない。会社における不祥事や国家による戦争犯罪の問題にも関わっている。犯罪加害者の家族が、事件後に受ける社会的制裁の問題にも関わってくる。個々の事例に沿った連帯責任を模索する必要があると考える。

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