「感染者差別は人権侵害ですよ」が通じない

ところが日本人の感覚では、「あいつは権利ばっかり主張する嫌なヤツだ」みたいな言い方をふつうにするわけです。日本語の権利には「正しい」というニュアンスがほとんどない。

それゆえ、人権にも「正しい」というニュアンスがない。「人権屋」などと蔑むような言い方をしたりします。

プロローグで、長電話をするドイツの男性が「私には権利がある」といったエピソードを紹介しましたが、日本人はふつう生活の中で「私は権利を持っている」とはいわないし、ましてや「あなたには権利がある」なんていいません。

そこが、個人と社会のあるエリアと全然違うところで、依然として、本来の意味での「人権」とか「権利」という概念が定着していない。

いくら法務省が「感染者差別は人権侵害ですよ」といっても、誰もそんなことは信じていない。困ったことに、そういうことが日本では依然として起きているのです。

法律よりも世間のルールが大切

現代の日本は、人権侵害が頻発するような状態になっています。

やはり法律より「世間」。人々は「世間のルール」を信じているので、「人権侵害」といわれても、そんなことはまるで念頭にない。

日本人が人権という言葉を本格的に聞いたのは、憲法の「基本的人権」によってでしょう。それまでは、一般的ではなかったし、憲法自体も、敗戦によって、いわば上から降ってきた憲法です。人々が勝ち取ったものじゃない。

フランス革命も、アメリカの独立革命もそうですが、憲法というものを彼らは血を流して勝ち取っています。血で血を洗う争いをやって勝ち取ったという意識が、いまだに非常に強い。だから権利を侵害されたとなれば、デモなどで徹底抗戦するのです。

日本人はその感覚が全然ないわけです。これは当たり前といえば当たり前の話で、「世間教」を信じるこの国では、初めから「法のルール」というものはタテマエだったのです。当然のことに、憲法の基本的人権だっていまだにタテマエなわけです。

日本の皇族には基本的人権がない

日本の皇族には、基本的人権がありません。また天皇・摂政だけですが、犯罪をおかしても訴追されません。

人の手に持つ日本の国旗
写真=iStock.com/brize99
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秋篠宮家の長女、眞子さんの結婚の際には、外野がやめろ、やめろ、許さない、みたいに大騒ぎをしましたが、そういうこと自体が基本的人権の侵害ではないのでしょうか。

日本には皇室があり、イギリスには王室があります。天皇制は他の国の王室となにが違うかというと、歴史の長さが違うというのが一つあります。

もう一つは神との関係です。エリザベス女王にはイギリス国教会というものがあって、神が存在します。一神教ですから、神は一人しかいないし、当然のことながら女王は神ではない。

ところが、戦前の天皇は「現人神あらひとがみ」だった。これは、「この世に人となって現れた神」という意味で、人間ではなく神そのものだったのです。天皇という存在が頂点にあって、それと一体になっているのが「世間」です。

「世間教」の教義の一つに、「身分制」ルールがあります。

この身分制の中で、一番身分が高いのは天皇。そこからミルフィーユみたいに、重層的にずっと下まで、上下の身分というものが積み重なっている構造になっているのが日本です。そのいちばん下に存在しているのが被差別部落の人々となる。

「世間」においては、天皇と被差別部落が表裏一体となっているのです。部落問題の根底には、「世間教」の「身分制」が存在しているわけです。