「よし、MITに行こう」

大学院で原子炉の勉強をする日々は、それなりに身にはなったが、同時に物足りなさも覚えた。原子核工学といっても機械工学や化学工学の世界から寄せ集めてきた先生ばかりで、原子炉のことを本当に知っている専門家は皆無に等しかった。原子炉の設計を教えている先生に「発電用の原子炉ってどれくらいの大きさですか?」と聞いても、「見たことがない」と言われる始末である。

原子炉設計の理論や方程式を机上で教えることはできても、方程式に数字を入れて計算したことがないから、現実に何が起こるのかわからない。それが日本の原子力工学の最先端の実力だった。

学校には臨界にならない実験用原子炉しかなかったから、夏休みになると茨城県の東海村に実習に出かけた。当時、東海原発で日本初の商業用原子炉が稼動を始めたばかりだった。原料に天然ウラン、減速材に黒鉛、冷却材に炭酸ガスを使う「コールダーホール改良型」と呼ばれるイギリス製の原子炉で、経済性や耐震性に問題があったことから現在は運転を停止し、廃炉作業が進められている。

大学院では原子炉の材料に関する研究をしていたが、原子力工学の総合的な知見については「群盲象を撫でる」ような印象は拭えなかった。突き詰めるためにどこか別のところに行くしかない。では世界トップクラスの原子力工学はどこかにあるかといえば、マサチューセッツ工科大学(MIT)の名前しか頭に浮かばなかった。

MITにはマンハッタン計画のときに「原子炉を設計していた」とか、「ウラン濃縮を担当していた」という科学者がそのまま流れ込んできていて、当時の原子力関係の教科書もほとんど彼らの手で書かれていた。

調べれば調べるほど原子力の総本山であることがわかってくる。「よし。MITに行こう」と決めた。

(小川 剛=インタビュー・構成)