日本の「財政の余地」は十分過ぎるほどある
それは、どうしてか。もし、日本が財政破綻の危機に瀕しているならば、歳出削減より優先すべき支出目的などないはずだからです。
このように、給付金の対象である「本当に困っている人」の範囲、あるいは「必要な支出」「賢い支出」の定義は、「財政の余地」をどれくらい見積もるかによって、変わってくるのです。
ですから、健全財政論者と積極財政論者が不毛な対立を終らせるためには、何に支出するかについて議論する前に、「財政の余地」がどれくらいあるかについて、合意しておかなければなりません。
そして、「財政の余地」がどれくらいあるか、財政支出をどこまで増やしてよいかは、失業率やインフレ率など経済の状況によって判断すべきものです。
財政支出の拡大は需要を拡大するので、過度な財政出動は需要過多(供給不足)を招き、(デマンドプルの)高インフレを引き起こします。マイルドなインフレであれば問題はないが、高インフレは国民生活に悪影響を及ぼします。だから、高インフレになるまでは、財政支出の余地があるということになります。
そして、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレだったのだから、「財政の余地」は十分過ぎるほどあることになります。むしろ、財政支出が不十分過ぎると言うべきなのです。
矢野次官は「コロナ給付金は無意味」と断じた
「バラマキ」かどうかの判断基準の第一の基準は、「財政の余地」でした。
第二の基準は、「政策目的」になります。
例えば、現金給付については「貯蓄に回るだけで、消費につながらない」という批判があります。矢野次官も、「昨春(注:2020年春)の10万円の定額給付金のような形でお金をばらまいても、日本経済全体としては、死蔵されるだけで、有権者に歓迎されることはあっても、意味のある経済対策にはほとんどなりません」と述べて、貯蓄に回る現金給付は無意味だと断じました。
しかし、消費に回るか貯蓄に回るかを議論する前に、確認しておくべきは、そもそも現金給付が何を「政策目的」としているかではないでしょうか。現金給付の「政策目的」が消費の喚起であるならば、「貯蓄に回るだけだ」という批判は、確かにあり得るのかもしれません。