決断の先延ばしが全員を不幸にする

事業の拡大や他社の買収といった「足し算」の意思決定ならまだしも、撤退や売却といった「引き算」の意思決定はできるだけしたくないと考える。

傷が浅いうちなら手の施しようがあったにもかかわらず、決断を先延ばしにしたばかりに、その事業に関わる全員が不幸になってしまったケースは枚挙に暇がない。

私が関わったある企業では、経営者が早期退職募集の決断を渋り、もはやここまでという危機的状況に陥った局面で、ようやく人的リストラに踏み切った。だが会社に残された資金はほとんどなく、退職金の割り増しは月給の6カ月分が精一杯だった。

一方、2020年に早期退職募集をした三菱ケミカルは、最大で月給50カ月分を上乗せすると発表して注目を集めた。中長期的に先を見据えてジョブ型雇用に転換するための対応であり、会社の財務にはまだ余裕があるからできたことである。

かたや半年分、かたや4年2カ月分である。どちらが社員にとって幸せかは一目瞭然だろう。

先を予見して早い段階で意思決定した三菱ケミカルのリーダーの胆力は、高く評価されるべきである。

祖業に見切りをつけて復活を果たしたマイクロソフト

ビジネスの歴史を見れば、リーダーの意思決定が早かった事業ほど、その後に大きな繁栄を実現している。

パソコン用OSとソフトウェアの会社だったマイクロソフトは、今やすっかりクラウドサービスの会社に変貌した。一時はモバイル化やクラウド化への対応が遅れて業績の停滞を招いたが、3代目CEOに就任したサティア・ナデラ氏が「脱ウィンドウズ」を掲げてクラウド事業に参入したことで、劇的な復活を遂げた。

あれだけの巨大企業が自社の礎を築いたソフトウェア販売というビジネスモデルと決別し、大胆な戦略的ピボットを実行したことに世間は驚いたが、リーダーの意思決定があればそれが可能だと証明してみせた形だ。

時代をさかのぼれば、インテルは半導体(DRAM)メーカーだったが、日本メーカーの攻勢を受け、1980年代には早くも撤退を決める。そしてマイクロプロセッサーへの重点投資に踏み切ったことで、同社は圧倒的ナンバーワンの地位を確立した。

日本でも、富士フイルムはコア事業であるフィルム需要の急減を予見し、2000年代初頭から構造改革を推進して、ヘルスケア事業を新たな収益の柱に育て上げた。同業のコダックが環境変化に適応できず、破産に至ったのとは対照的である。

インテルや富士フイルムの事例も、いわば祖業に見切りをつける形でのピボットであり、強いリーダーの意思決定なくしては、実現は不可能だっただろう。

冨山和彦、木村尚敬『シン・君主論 202X年、リーダーのための教科書』(日経BP)
冨山和彦、木村尚敬『シン・君主論 202X年、リーダーのための教科書』(日経BP)

一時代を築いた既存事業がある会社ほど、構造改革は難しい。

現場の抵抗もさることながら、すでに経営を退いたOBからのプレッシャーも大きい。「我々が育てた事業を撤退させるなんて、栄光の軌跡を否定するつもりか」というわけである。相手が若い頃に世話になった元上司だったりすると、弱いリーダーはしがらみに負けてすぐに折れてしまう。

破壊的イノベーションの時代を企業が生き抜くには、「誰がなんと言おうと決める」という胆力を持ったリーダーが必要だ。常に事業の先を見極めようとする姿勢を持ち、経済合理性に基づいて判断して、決断したら一気に実行する。

そんなリーダーだけが、会社を将来の災いから救えるのである。

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