龍馬は手本にならず

高度経済成長期に、サラリーマンから絶大な支持を集めた歴史上の人物は、徳川家康であった。経営の参考になるとて、山岡荘八の長篇『徳川家康』が大ベストセラーになった。

100年に一度といわれる大不況のただ中にある今、求められる人物は、一体、誰だろう?

出久根達郎 でくね・たつろう●1944年、茨城県生まれ。古書店主・作家。93年『佃島ふたり書房』で直木賞受賞。近著『[大増補]古本綺譚』が好評。

同志と心を合わせ、「姦吏」どもといくさをして、「日本を今一度せんたくいたし申候」と宣言した幕末の志士、坂本龍馬か。

私は、違うだろうと思う。確かに龍馬は、商社を起こし、船による貿易を試みた。外国との取引を想定していたらしい。しかし、志なかばに、凶刃に倒れた。従って龍馬の経営手腕は未知である。理念も伝わっていない。つまり、私たちは龍馬を経済人として手本にすることができない。

では、他に適格者は、いるか。デフレ、雇用不安、格差社会、就職難、犯罪や自殺の増加、そして地方の疲弊、「シャッター通り」と称される商業の衰退。いってみれば、このような問題山積の世を打開してくれる偉人である。救世主を待望するのではない。そういう人がいるなら、その人の言行を学びたいのである。

うってつけの人が、いる。尊徳(そんとく)二宮金次郎である。

戦前生まれのかたなら、知らない者はいないだろう。小学校の教科書に出ていたし、唱歌で歌われた。小学校の校庭には、薪を背負って歩きながら本を読む金次郎の像が建っていた。

親孝行で、働き者で、勉強に精を出す、けなげな少年、それが金次郎であった。

では、大人になって何をなしとげた人であるか。教科書で教えられた人たちも、尊徳の事業については詳細を知らないはずである。まして戦後生まれの世代は、名を聞くのも初めてではあるまいか。授業で取り上げられることが無くなったからである。

ひと口に言えば、報徳の教えをもって、六百余の村起こし町起こしを成功させた、幕末の農政家である。報徳とは、恩返しのこと、道徳と経済を結びつけて説いた。一家の幸福が、村の幸福となり、国の幸福である。幸福を得るには、まず一所懸命に働き、質素な生活をし、貯蓄に励む。こまっている人を見たら助ける。人への思いやり。この心さえあれば、どんな荒廃した村も必ず復興する。

二宮尊徳の思想は、これだけである。これが尊徳の事業理念であった。