常に警戒できないのに有効な対策を否定していいのか

しかし、犯罪予防や犯罪立証機能の有効性のある技術があるなら、全く否定するのではなく、その弊害を防止したうえで有効に使うべきである。防犯カメラや手荷物検査を犯罪の予防、犯罪の立証のために必要な限度の利用にとどめること、防犯カメラの使用目的遵守や映像、データに接することのできる者の限定、記録の適切な保管、必要な期間が経過したときのデータの完全な廃棄、問題が起きたときの責任の明確化が確立されるならば拒否する理由はない。

また、乗客自身、喉元を過ぎると熱さを忘れてしまいがちなことも自省すべきであろう。過去をさかのぼれば列車を含む公共交通機関の中で無差別事件は何度も発生している。1995年の地下鉄サリン事件の際、加害者がサリンを運ぶときに新聞紙を使ったということがあり、「車内に新聞を放置しないように」という放送が流れたことがあった。しかし、しばらくすると車内に放置された新聞が散見されるようになった。

列車に乗っているときに、鉄道事故や無差別事件に遭遇する確率自体は極めて低い。「自分が列車内で無差別事件に遭遇するはずがない」と人は思いがちであり、私自身も普段「この列車で無差別事件に遭遇するかもしれない」などと思って乗ることはほとんどない。だから車内で無警戒に惰眠をむさぼることが多い。常に警戒せよ、というのは私には無理だし、多くの乗客にも無理な話であると思う。

ならば、乗客は、その代わりとして、日ごろから鉄道会社が行う防犯や事後的な証拠確保の手段には可能な限り協力し、かつ、危険を招く原因を作らないように気を付けるべきである。

池袋駅の車掌
写真=iStock.com/coward_lion
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トラブル対応に寛容になることも重要だ

現場の係員が躊躇ちゅうちょなく安全確保措置をとれる環境づくりも必要である。

トラブルが発生して列車が遅延したり運休になったりしたとき、現場で寛容になれない乗客はいつの時代にも一定数いる。現場の係員がとれる権限についてあいまいなままだと現場の係員が対乗客との関係に配慮して委縮する可能性があり、安全確保に即応することができない恐れがある。

係員が必要なときに必要な措置(対象者の施設外退去など)を躊躇なくとれるよう、現場の係員に具体的な権限や裁量を与えること、ルールにのっとった対応を係員が行ったときには、結果がどうあれ係員の責任を問わないという制度を作っておくべきである。具体的な犯罪抑止のためのルールをいくら文字で定めても実際にそれが活用されなければ意味がなく、第一次的に安全確保措置を具体的に行使するのは乗客と向き合う現場の係員だからである。

高速で疾走する列車を運行する鉄道事業は、事業の性質上ただでさえ危険と隣り合わせである。危険を内包する列車に乗っても、夏は冷房か自然の風が吹き抜ける中で、冬は暖房が効いた中で、移動中に乗客が惰眠をむさぼることができるのは、日ごろの並々ならぬ鉄道会社の努力の賜物たまものでもあろう。

鉄道会社と旅客の双方の努力と理解と寛容とで、今後も鉄道の安全確保が維持されてほしいものである。

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