経営者や資本家に正義を求めるのは無理

水野和夫、古川元久『正義の政治経済学』(朝日新書)
水野和夫、古川元久『正義の政治経済学』(朝日新書)

【水野】私も斎藤先生と同じような認識です。経営者や資本家に正義を求めるのは、どだい無理な話でしょう。ケインズだってモラルエコノミーを訴えたのに受け入れられず、経済学は手段遂行の学問になってしまいました。SDGsという昨今の動きも、17世紀、18世紀に資本家の倫理を求める運動があったのと同じで、多くの経営者や企業は国際的な世論も高まっているから、「ちょっとお行儀よくしないとナ」という程度の認識でしょう。

実際、株主や経営者は、ROE(自己資本利益率)の目標は取り下げないわけですよね。ROEの目標を取り下げず、「SDGsもがんばりましょう」なんて不可能です。SDGsを本気でやろうとしたら、ROEは現在の地代(リートの利回り)以下、つまり3%以下を目標にすべきです。でも、そんな経営者はいませんから、経営者の倫理に期待はできません。

だとすると、資本主義を終わらせるためには、外部からの政治的な強制力が必要でしょう。企業は1年ごとに、リートの利回りを超えた分の利益は、最高税率を99%として累進課税として徴税する。そのぐらいしないと、抜本的な改革なんてできっこありません。

労働者自身による「コモン」が必要ではないか

斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)

【斎藤】問題はそういう強制力をどう作るかです。経営者に働きかけて労働者の声に耳を傾けさせるとか、経営者に利益を分配させるというのではなく、労働者自身が実質的な管理権限をもって、「コモン」を自主的に運営するような仕組みを拡張していくべきだと私は考えています。その一例が、さきほど古川さんが指摘された労働者協同組合ですね。

【古川】斎藤さんも著書で触れられていましたが、宇沢弘文先生が唱えた社会的共通資本の仕組みをつくっていくということですね。それは私も大賛成です。

【斎藤】たしかに、私の言う「コモン」は、宇沢さんの社会共通資本と近い考え方です。ただ少し違うのは、宇沢さんの場合には階級闘争のような議論は入ってこないんですね。私は、労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思うんです。