人間は一世代ごとにリセットされる

「いや、AIのほうが賢明な判断をしてくれるよ」とおっしゃる方もおられるでしょう。しかし、それは時と場合によります。いつも正しい答えが得られるという状況は、ヒトの考える能力を低下させます。ヒトは試行錯誤、つまり間違えることから学ぶことを成長と捉え、それを「楽しんで」きたのです。喜劇のコントの基本は間違えて笑いを誘い、最後はその間違いに気づくことが面白いのです。逆に「悲劇」は、取り返しがつかない運命に永遠に縛られることに、恐怖と悲しみを覚えるのではないでしょうか。

AI
写真=iStock.com/Who_I_am
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AIは、人を楽しませる面白い「ゲーム」を提供するかもしれません。しかし、リアルな世界では、AIはヒトを悲劇の方向に導く可能性があります。そして何よりも私が問題だと考えるのは、“AIは死なない”ということです。

私たちは、たくさん勉強しても、死んでゼロになります。そのため文化や文明の継承、つまり教育に時間をかけ、次世代を育てます。一世代ごとにリセットされるわけです。死なないAIにはそれもなく、無限にバージョンアップを繰り返します。

私は1963年の生まれで、大学生の時(1984年)にアップル社からマッキントッシュ(Mac)のコンピュータが発売され、その後ウィンドウズが誕生したのを体験してきました。ゲームも、フロッピーディスクに入った「テトリス」を8インチの白黒画面でハイスコアを競ったものです。その後のパソコン、ゲーム機、スマホなどの急速な進歩は、本当に驚きです。

死なないAIは世代を超えて進歩していく

私はコンピュータの急成長も可能性も脆弱性も知っている「生みの親」世代です。そしてコンピュータが「生みの親」より賢くなっていくのを体感しています。だからこそAIの危険性、つまりこのままいったら絶対にやばいと直感的に心配になるのかもしれません。いつまで経っても子供が心配な親の心境に似ています。

その危機感について自分の子供の世代には警鐘を鳴らせますが、孫の世代はどうでしょうか。孫たちにとってはヒト(特に親)の能力をはるかに凌駕したコンピュータが生まれながらにして存在するのです。タブレットで読み・書き・計算を教わり、私情が入らないようにと先生の代わりのAIが成績をつけるという時代にならないとも限りません。そんな孫の世代にとっては、AIの危険性より信頼感のほうが大きくなるのは当然です。

死なないAIは、私たち人間と違って世代を超えて、進歩していきます。一方、私たちの寿命と能力では、もはや複雑すぎるAIの仕組みを理解することも難しくなるかもしれませんね。人類は1つの能力が変化するのに最低でも何万年もかかります。その人類が自分たちでコントロールすることができないものを、作り出してしまったのでしょうか。