多くの人が「型」を学んで満足し、本質をつかめない

──市川團十郎家の芸は、具体的にはどのように継承されてきたの?

天保時代に七代目市川團十郎が家に伝わる芸を「歌舞伎十八番」としてまとめ、さらに明治に入って、九代目が「新歌舞伎十八番」を加えています。これらの演目を受け継ぐことが、市川團十郎家の宗主として最低限のこと。僕は父からそれらを一つひとつ教わって、預かっている状況です。「歌舞伎十八番」の中でも『助六』や『鳴神』、『毛抜』などはすごく面白いからよく演じられるけれど、忘れられた演目もある。現代人が見ても面白い作品としてそれらを復活させるのが長年の野望だったんだけど、あと1作品でコンプリートかな。

──2020年5月、市川團十郎襲名の予定だったけれど、延期になった。

僕の襲名と長男の新之助襲名披露のために時間をかけて準備していたから、お客様にも関係者の方々にも申し訳なくて。気持ちの整理がつくまでに長い時間がかかりました。でも、稽古は毎日していたよ。学ぶというより、そぎ落とす作業。いらないものを捨てて、本質だけを残す芸の「断捨離」みたいなことをやっていました。

──「断捨離」を通して、芸に対する考え方も変わった?

すごく変わりました。でも、言葉では説明できないな。こればかりは芸を見ていただかないとわからないと思います。

──芸を磨くうえで、「細部まで理詰めで考える」ことと「直感に従う」こと、どちらが大切?

両方。準備期間は理詰めだけど、本番になったら理を外す。お客様の求めるものも、舞台で感覚として入ってくるから。

──芸の継承における「型」の意義について、どう考えているのかな?

一般的に「型」といえば教科書だよね。教科書の奥には本質があるけど、教科書=本質ではない。だから、多くの人が「型」を学ぶことで満足し、本質を見失う。その奥にある本質を学べなければ、型は型でしかない。

歌舞伎で「型」といえば、家ごとに伝わる表現技法を指すので、武道などでいう「型」とは少し意味が違います。同じ演目でも表現に違いがあって「成田屋の型」「成駒屋の型」なんて言い方をする。

──その「型」はどのように身につけてきたの?

手取り足取り。歌舞伎の家には、幼稚園から小学校5年生くらいまでに一通りの型を身につけるカリキュラムがあります。その後も日々稽古し、家に伝わる演目を一つひとつマスターし、舞台で披露していく。それが一生続くわけです。言ってみれば一生「型」の稽古だよ。

──その過程で本質に迫る。ということ?

本質にたどり着くのはごく少数だと思う。型の稽古は一見つまらないことの積み重ねだけど、人との出会いや経験の中で感じたことが、何らかのスイッチを入れてくれる。そのスイッチが入らなければ、その先には行けない。