「大惨事」がある前提で人生を設計しよう

生まれつきストレスに強い人なら、そんな状況でもたくましく乗り切ることができるだろう。一家を路頭に迷わせてはいけないという義務感から、むしろやる気を出すかもしれない。

だが、それまで挫折経験の少ない人は、ストレスに弱い。大きなカタストロフィを前に、心が挫けてしまうかもしれない。今の生活をどう維持しようかと思っただけで、頭がパニックになってしまうのだ。

そう考えるとカタストロフィは、若いうちに経験しておいたほうがいい、ということになる。むしろ、カタストロフィに遭遇できてラッキーだ、くらいに思ってもいいだろう。ストレスに慣れていくうちに、ストレス耐性が強くなり、やがて強いプレッシャーにさらされたときも、さほどストレスを感じなくなるのだ。

また、「長い人生にはそういう不運が起き得る」という前提に立てば、それなりの備えを考えておくはずだ。財政的な話だけでなく、家族の側の心の準備も含めて。いざというときに家計を縮めても、家族、特に子どもたちの人生が壊れないよう、それこそ学校選びから考えるかもしれない。何より家族の期待値を、将来の挫折リスクを織り込んだものに調整しておけば、いざというときに家族の心が折れることも起きにくい。こういうことも、早めに不運体験をしておくとあらかじめ準備をしておくことができる。これで挫折耐性、ストレス耐性はかなり高められるはずだ。

挫折のストレスは、自分自身の後悔や落胆もあるが、家族や仲間を巻き込み、彼らとの板挟み状態になることで最大になるものなのだ。

ある高名な大経営者は、自らが創業した会社を上場させたあとも、若いときに奥さん名義で建てた家にそのまま住んでいるそうである。普通に生活していくのにはその家で十分。いざというときに、その普通の生活さえ守れるのなら、じたばたしておかしな方向に走るような心境にならないですむと考えたそうだ。

ベンチに座っている落ち込んだアジアの実業家
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです

その人が創業した会社は、極めて厳しい経営環境の中でライバル企業の多くが淘汰や倒産に追い込まれた中で、その山谷、波風を乗り越えて、今も隆々と繁栄を続けている。

あえて「失敗経験を積み重ねる」

カタストロフィはあえて自分で作ってもいいし、カタストロフィの中に飛び込んでもいい。あえて重圧のかかりそうな仕事を引き受けてもいいし、気難しそうなプロ集団の中に入って暴れてみるのもいいだろう。そうして早いうちに、そこそこ大きなカタストロフィを経験して、ストレスに強くなる。そうすれば40代、50代になってからカタストロフィに見舞われても、何とかしのぐことができるし、そもそも襲われにくくなる。

もう中高年になっている人、自信のない人は、いきなり大きなカタストロフィに飛び込むよりも、徐々に慣れていくほうがいいだろう。今からでも遅くはない。身近で、そこそこの不運に見舞われそうな仕事や状況に首を突っ込むことをお勧めする。

いずれにせよ、いきなりあまりに深刻な重圧にさらされると、解決法がわからず、パニック状態になりやすい。そこでうまく居直れれば強いストレス耐性を身につけられるが、真面目な人ほどそうはならない。居直る自分が許せないため、出口を自分で作れず、出口がなくなってしまうからだ。

出口の見つからないまま巨大なストレスにさらされ続けると、ついには心の病にさえなる。ストレス耐性が身につかないまま病気になったのでは、割に合わない。慣れていない人や真面目な人ほど、ストレス耐性は少しずつ強くしていくことを考えたほうがいい。