親が死んだとき、子供には必ず相続が発生する。経済アナリストの森永卓郎氏は「2011年に父を亡くし、相続を巡って地獄のような日々を味わった」という。いったい何が起きたのか――。

※本稿は、森永卓郎『相続地獄 残った家族が困らない終活入門』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

葬儀の祭壇
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現金がなければ、葬儀すら開けなかった時代

体は半身不随ではあるものの、父の頭脳は現役時代と変わらずしっかりしていた。とにかく気持ちが前向きで、死去する直前までNHKラジオでイタリア語の基礎講座を勉強したり、英語の放送を聞いていたものだ。

2011年3月11日、東日本大震災が起きてから父の様子が急変した。介護施設のテレビで津波の生々しい映像を見て、相当なショックを受けたらしい。それまでもあまり話さなくなっていたのだが、震災後は、ずっと黙りこむようになった。そして震災後、しばらくして、とうとう父は亡くなった。

相続の七面倒くさい手続きの前に、何はともあれ通夜と葬儀を営まなければならない。親が死んだ瞬間、当人の預金口座は、即座に凍結される。通夜や葬儀代がかかるからといって、あの世に旅立ってしまった親の銀行口座から、勝手にキャッシュを引き出すことはできないのだ。

民法が改正されたおかげで、2019年7月から葬儀費用を親の銀行口座から引き出せるようになった。私の父が亡くなった当時は、その費用すら自分で準備しなければならなかった。とりあえず手持ちのキャッシュがなければ、葬儀すらまともに開けなかったのだ。

通夜と葬儀だけで300万~400万円はかかった

父は毎日新聞社を退社してから大学の専任講師を長く務めていたため、通夜の席に卒業生が大勢押しかけてドンチャン騒ぎが始まった。「故人をしのぶ」という名目で、大学のゼミの大同窓会になったのだ。

父を慕ってわざわざ来てくれた教え子に、「そろそろ宴もたけなわですので」なんて野暮なことは言えない。「今日は父の思い出を話しながら、どんどん食べて飲んでいってください」と言って、寿司だのビールだのを次々と運んでもらう。おのずと費用はかさむ。

はっきりとは覚えていないが、通夜と葬儀だけで300万~400万円、あるいはもっとかかったかもしれない。

東日本大震災の直後だったこともあり、参列者からいただいた香典は被災地の復興のために全額寄付した。だから何百万円もかかった葬儀費用は、全部私が支払った(最終的に弟と折半することになったが)。

最近では僧侶を呼ばず、読経どきょう戒名かいみょうを省略する簡素な葬儀が市民権を得ている。ごくわずかな身内だけで死者をとむらう「家族葬」「直葬」も増えているそうだ。この方式であれば、棺桶かんおけ代や火葬場に支払う諸経費だけで葬儀費用を20万~30万円まで抑えられる。

私のように、100人単位の参列者を迎えるとなると話は違う。いざ親が亡くなった瞬間、100万円単位の大きな出費が発生する可能性があることを、読者の皆さんは今から知っておいてほしい。