2020年2月に亡くなった野球評論家の野村克也さんは、1977年に南海ホークスの監督をクビになっている。原因は「愛人問題」だった。球団のオーナーに「野球を取るのか、女を取るのか」と問われた野村さんは「女を取ります」と答え、不倫相手だった沙知代さんとの結婚を選んだ——。(第2回/全2回)

※本稿は、野村克也『弱い男』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

握手会でファンに色紙を渡す楽天の野村克也監督(中央)と沙知代夫人(左)
握手会でファンに色紙を渡す楽天の野村克也監督(中央)と沙知代夫人(左)=2009年1月29日、宮城・仙台市内のホテル

妻である沙知代の口癖

沙知代にはいかなることにも動じない強さがあった。

人前で弱気な一面を見せることもなかったし、弱音を吐くようなことも絶対になかった。一方の私は、つい弱気になり、ネガティブになり、ボヤキばかりを口にする人間で、沙知代とは何もかもが正反対だった。

「あなたは牛若丸で、私は弁慶。いつも私が前に立ちはだかって、“矢でも、鉄砲でも持ってこい!”って、あなたを守り通してきたのよ」

生前の沙知代の口癖だ。まさに、その通りだったと私も思う。

もう一つ、彼女の口癖だったのが「なんとかなるわよ」という言葉だった。これまでの人生で、私はこの言葉に何度も勇気づけられてきた。彼女は「地球は私を中心に回っている」と本気で考えていたんじゃないかというほど、常に堂々としていた。

対する私は、とうていそんな思いを抱くことなどできず、常に不安とともに生きてきた。野球においても、常々私は「投手はプラス思考、捕手はマイナス思考がうまくいく」と考えていた。だからこそ、ピッチャーとキャッチャーのコンビのことをプラスマイナスを併せ持った「バッテリー」と言うのだと思っている。

そういう意味では、私は仕事でもプライベートでもキャッチャーだったのだろう。沙知代の「なんとかなるわよ」にもっとも勇気づけられた日のことを話したい。