「思い出の品」を求める遺族は少なくなっている

「それでも隣人ならまだいいほうですよ。隣のマンションの管理人の女性が勝手に家に入ってきたこともあります。もちろん、そのままお帰りいただきます。穏やかに諭して穏便にね。

ただ、彼らも悪気があるわけではないと思うんですよ。遺品の中には確かにそのままゴミになるものあるし、それならば使いたいという心理もわからなくはない。ただ、物色しにくる人たちに限って、どこか卑しさや、欲深さといった感情が垣間見えるんだよね」

遺品整理業、彼らは、実は探索のプロでもある。金品だけでなく、部屋の中からありとあらゆるものを探し出す。しかし、上東氏は近年、時代の変化を感じている。かつては、思い出の品やアルバムなどを見つけて、遺族に渡すととても喜ばれた。上東氏も思い出の品を自分が見つけることによって故人とのつながりを感じてもらえて、うれしかったという。しかし、長年遺品整理を手掛けるにつれて、それは自分たちの勝手な思いの押し付けでしかないことを知った。

もちろん、求められれば今でも、思い出の品を見つけることができるが、本人が希望しないのにかかわらず、今は無理に渡したりはしない。

「昔に比べて、今はアルバムを探してくれという依頼は少なくなったね。だから僕たちは依頼者によって寄り添い方を変えているんです。故人のお金が欲しい人にとって、写真とか思い出の品なんかはいらないでしょうから、金品を探すことに集中する。現場で感じるのは、どんどん世知辛い世の中に向かっているんじゃないかということですね。みんな自分のことしか考えていないんじゃないかな」

レインコートとゴム手袋を着用しゴミを分ける作業員
撮影=安澤剛直
遺品の中のゴミを処理する。

遺品整理の現場はゆがんだ日本の世相を表す鏡

無縁社会が着々と忍び寄る現代日本――。上東氏は遺産相続を巡って、親族同士の裁判を数えきれないほど見てきた。バブル崩壊後、経済的に疲弊した日本において、かつての中間層は没落し、人と人とのつながりは薄れ、金の切れ目が縁の切れ目になりつつある。それは親族も例外ではない。その反面、自らの権利意識はかつてなく強くなっている。そのため、現代では相続=争続が当たり前になりつつある。

日本経済新聞は、2020年6月27日付の記事「遺産相続、少額ほどもめる――紛争の3割強が1000万円以下(人生100年お金の知恵)」で、遺産相続は3割強が1000万円以下で少額ほどもめると報じている。わずかな遺産を巡って裁判沙汰になるケースも多く、親族同士のいさかいは今この瞬間もおきている。死人に口なし。結果、遺品整理では、むき出しの欲望があらわになる。

「遺品整理の現場は、今の世の中の縮図だと思うよ。遺品整理は死者を弔う行為で尊いとか、みんなきれいごとを言うけど、実際は、故人の金を巡って人と人との醜い争いにあふれているんだ」

上東氏は寂しそうにそうつぶやく。

アルバムを片手に、故人の思い出にゆっくりと浸る。そんな風景がノスタルジーになる時代はもうすぐそこに来ている。上東氏の寂しそうな後ろ姿を見ながら、そんな危機感を感じた。

遺品整理の現場は、そんなゆがんだ日本の世相を表す鏡なのだ。

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