心無い世間に百万遍話すより、秋篠宮夫妻の強張った心を溶かすために、これまでの全人生を賭けるべきだ。本当に小室が眞子さんと結婚したいのなら、ときには眞子さんも一緒にとことん話し合うのだ。
そうした努力を欠いてきたことが、秋篠宮夫妻や周囲の人間たちを疑心暗鬼にさせ、小室側への不信感を増大させてしまったのだから。
そうして、晴れて秋篠宮夫妻から結婚を了承してもらえたら、秋篠宮の名前で、話し合った経緯を文書にし、皇嗣職大夫が会見して発表してもらうのである。
「父親として認める」と決断すれば世間の雑音は収まる
私は、ここまでこじれてしまった結婚話を、世間に納得してもらって、多くの国民から祝福を受けるためには、眞子さんの父親と母親の理解と後押しがなければできないと考えている。
秋篠宮が「この結婚は私が認める」と決断すれば、世間の雑音などあっという間に収まる。父親である秋篠宮の言葉を、多くの国民は待っているはずである。
父親は哀しい。もっと哀しいのは花嫁の父である。
いつの時代、どこの国でも、花嫁の父は悩み葛藤し、女々しいものである。秋篠宮を見ていてつくづくそう思う。
だが、彼の優柔不断さを責める気持ちにはなれない。
私も一人娘を嫁がせたことがあるからだ。「嫁に来る日が来なけりゃいい」。芦屋雁之助の『娘よ』を歌うと、今でも涙が出る。
『花嫁の父』(1950年製作)という映画が好きだ。スペンサー・トレイシーが父親役で、娘役はこの作品で注目されたエリザベス・テイラー。娘の結婚式を終えて帰ってきた父親が、「娘は生涯、親の子」といって、妻とダンスをするラストシーンがいい。
日本映画でいえば小津安二郎の『晩春』。父親(笠智衆)離れしない一人娘(原節子)を何とか説き伏せる。結婚式の夜、家に帰ってきた笠の表情が何ともいえない。
辛いのは分かるが、秋篠宮には、娘が全人生を賭けた「決意」を受け入れてやり、祝福して送り出してあげてほしいと思う。いかがなものだろうか。(文中一部敬称略)