第2の危機は高橋さん夫の転勤
こうして会社を立ち上げたものの、二人が共に東京にいる時期はほとんどなかった。高橋さんが東京で、山本さんがアメリカで仕事をしていたため、自然と24時間営業になった。その当時、手伝ってくれた主婦仲間やデザイナーが、現在のボードメンバーになっている。
こうして着実に業績は伸びてきていた。ところが、起業して3年後、今度は夫の転勤で高橋さんがロサンゼルスに移住。その5カ月後には出産し、オペレーションの要となる高橋さんが日本からいなくなるという「第2の危機」が勃発する。
これにより、国内の業務は今までの規模を守るだけで、まったく売り上げは伸びなかった。しかし、このピンチをチャンスに変えたのは高橋さんだった。渡米先で、アメリカのヘアアクセサリーブランド・フランス ラックスを知り、日本への総輸入代理店を始めることに成功したのだ。
山本さんの再婚と2人目出産で本社移転
こうして高橋さんの不在時期を乗り切ったと思ったら、今度は山本さんの再婚と二人目の子供の出産というライフイベントに直面することに。
少しでも睡眠時間を取りたいという産後の時期でも、山本さんがいなければ立ち行かなくなる事業もある。いつでもすぐに山本さんの自宅までミーティングに行くことができるようにするため、産後は本社そのものを山本さんの自宅から徒歩2分の場所に移転することを決めた。「そこまでするの? 私は休みがもらえないの?」と山本さんは嘆いたという。
そんなふうに、二人のライフイベントの波は代わる代わる訪れ、そのたびに売り上げは停滞したが、支えてくれるメンバーにも恵まれ、何とか危機を乗り切り続けた。
「山の登り方は違うけれど、目指しているところは一緒。くじけそうなときも、誰かが支えてくれる。どこにいても一人じゃないと思えるんです」と山本さん。彼女たちのモチベーションの高さは、こうした考えに裏打ちされているようだ。