性格は真逆なのに意気投合
クラウドファンディングで1億円の支援を集めた、画期的な超吸収型生理ショーツ「Bé-A《ベア》シグネチャーショーツ」。生理の日にナプキンがいらないというコンセプトで、女性の生理時の生活を一変させるイノベーションを起こしたということで注目が集まっている。
このショーツを開発したMNC New Yorkは化粧品ブランド「SIMPLISSE/シンプリス」やファッションアイテムブランド「CALLi tokyo/キャリー トーキョー」など人気商品の販売・開発を行っている。同社の山本未奈子代表と高橋くみ取締役は、UCL(University College London、ロンドン大学)時代からの親友だ。
小さなころから海外の全寮制の学校に通い、シングルマザーに育てられたという共通点を持つ二人は、大学1年生のころから意気投合。しかし、性格は真逆だった。
山本さんは自分と高橋さんの関係について、「夢を語る人とそれを実行する人」と説明する。表に出て営業していくことや、新しいことを始めることが得意な山本さんと、システム周りや財務関係など、種を埋めて育てていくような仕事が得意な高橋さん。経営で言えば、山本さんがCEOで、高橋さんがCOOという関係になるだろう。
「日本のいいものを伝えたい。日本と海外を行き来できるようなビジネスをやろう」と創業の誓いを立て、ここまでやってきた二人だったが、その道のりは紆余曲折の連続だった。
4カ国語を使いこなすエリートが一般職に
UCLで言語学を学んでいた山本さんは、大学卒業後に自分が何をやりたいかわからない中、取扱商品が多いという理由から98年に総合商社の日商岩井(現双日)を就職先に選んだ。化学部門に配属され、貿易事務の仕事を任されたが「あのときは人生で一番忙しかった」というほど過酷だったという。
しかも、4カ国語を使いこなすエリート大卒の山本さんでも、女性は「一般職」でしか枠がなかった。“男性が取ってきた仕事をさばくのが女性の仕事”というのが当然だったからだ。
3年後、「世の中の経済の仕事を見てみたい」と転職。UBS証券で証券外務員の一種を取って、デリバティブの販売に携わり、語学力を買われて英国に海外勤務となった。その後、社内結婚し、退職して米国・ニューヨークで暮らすことになった。
一方、高橋さんはUCLでは哲学を専攻。海外の哲学部出身者はマスメディアに就職する傾向があり、学生時代は日本の民放のロンドン支局でアルバイトをしていたという。卒業後は、米国・20世紀フォックス(現20世紀スタジオ)に就職し、CFOのアシスタントや社長秘書の仕事などを経験。3年後にドイツのラグジュアリーアパレルブランド・ヒューゴ・ボスに転職し、ドイツで通訳兼社長秘書として活躍した。
美容オタクだった山本さんは“美容家”として活躍していた。ニューヨークで美容学校に通い、“美容を極めたい”と英国のディプロマの資格も得て、書籍の出版と同時に、化粧品を作りたいと2009年3月に起業した。
起業するも、クレジットカードの審査も通らず
起業したのは、高橋さんの子供が1歳半になったころ、山本さんの子供が5歳のころだった。創業準備は夜型の高橋さんと朝型の山本さんがリレー方式で夜な夜な仕事をし続けた。「まるで眠らない会社でした」と二人で思い出して笑う。経営についてはまったくわからず、「暗闇の中を模索するような時期でした」(山本さん)。
第1の危機が訪れたのは、創業して1年後。山本さんが8年間の結婚生活にピリオドを打ち、シングルマザーとなったことだった。
山本さんは当時を振り返り、「クレジットカードの審査すら通らなくなり、専業主婦の経験は社会では認められないのかと痛感しました」と話す。
高橋さんはそんな相棒の姿に、「本当に事業を成功させなくては。会社だけでなく、私は山本の人生も背負っている」と火が付いたという。
二人は1年間無給で働き、事業の成功のために身を削った。
仲良しの二人だったが、時には激しいけんかもした。大学時代から周囲には「一緒に起業をする」と伝えていたが、「友人同士の起業はうまくいかないからやめたほうがいいよ」とアドバイスを受けることも多かった。
二人は、むしろその言葉に奮い立った。「『親友同士で立ち上げた会社でも成功する』というパターンを私たちが作ろう」と考えた。「これもイノベーションですよね!」と山本さんは笑う。似ていない二人が互いの短所を補い合って一つのものを作っていくのだから、成功しないはずがないと二人は前向きに捉えていたのだった。
第2の危機は高橋さん夫の転勤
こうして会社を立ち上げたものの、二人が共に東京にいる時期はほとんどなかった。高橋さんが東京で、山本さんがアメリカで仕事をしていたため、自然と24時間営業になった。その当時、手伝ってくれた主婦仲間やデザイナーが、現在のボードメンバーになっている。
こうして着実に業績は伸びてきていた。ところが、起業して3年後、今度は夫の転勤で高橋さんがロサンゼルスに移住。その5カ月後には出産し、オペレーションの要となる高橋さんが日本からいなくなるという「第2の危機」が勃発する。
これにより、国内の業務は今までの規模を守るだけで、まったく売り上げは伸びなかった。しかし、このピンチをチャンスに変えたのは高橋さんだった。渡米先で、アメリカのヘアアクセサリーブランド・フランス ラックスを知り、日本への総輸入代理店を始めることに成功したのだ。
山本さんの再婚と2人目出産で本社移転
こうして高橋さんの不在時期を乗り切ったと思ったら、今度は山本さんの再婚と二人目の子供の出産というライフイベントに直面することに。
少しでも睡眠時間を取りたいという産後の時期でも、山本さんがいなければ立ち行かなくなる事業もある。いつでもすぐに山本さんの自宅までミーティングに行くことができるようにするため、産後は本社そのものを山本さんの自宅から徒歩2分の場所に移転することを決めた。「そこまでするの? 私は休みがもらえないの?」と山本さんは嘆いたという。
そんなふうに、二人のライフイベントの波は代わる代わる訪れ、そのたびに売り上げは停滞したが、支えてくれるメンバーにも恵まれ、何とか危機を乗り切り続けた。
「山の登り方は違うけれど、目指しているところは一緒。くじけそうなときも、誰かが支えてくれる。どこにいても一人じゃないと思えるんです」と山本さん。彼女たちのモチベーションの高さは、こうした考えに裏打ちされているようだ。
会社の急拡大も、社員一斉退社事件勃発
そうして会社は順調に拡大し、社員も増えていった。フランス ラックスの売り上げが上がっていき、会社規模が急に大きくなったころ、大企業出身者など、入社する人たちの質も変わってきた。
そうなると、今までのような友達感覚であうんの呼吸で仕事をしていくことは難しくなってきた。また、福利厚生の重要性も問われるようになった。
そんな時期に、社員が一斉に5人辞めてしまうという事件が起こる。確かに、人事評価制度や就業規則など、充実したものを構築できていなかった部分はある。一人のアルバイトの女性から、「経営のコンサルを入れたほうがいいですよ」とまで言われてしまった。このときが一番ショックを受けた、と山本さんは苦笑する。
その頃に導入した制度がフルフレックスであった。見よう見まねで行ってきた「経営」がようやく分かり始め、組織が少しずつ様になっていくようだった。「やりながら良くしていく。子育てと同じですね」と山本さんはほほ笑む。
社長にもタメ口で意見するカルチャー
今では女性ばかり30人の会社となった。女性ばかりとなるとライフイベントの重複は避けられず、会社の中で誰かが妊娠・出産しているような状況だ。一方、「遠距離経営」も継続中で、現在は山本さんが日本、高橋さんが米国ロサンゼルスにいる。
それでも、「ベア シグネチャー ショーツ」のような画期的な製品が商品化できたのは、今は二人だけでなく、ビジョンに共感した社員という強力な味方と支え合っているからだ。組織は非常にフラットで、山本さんに対しても高橋さんに対しても、思ったことはタメ口で遠慮なく意見する文化がある。クラウドファンディングをするときも、ページ一つとっても社員全員の意見を盛り込んで進めていったことが成功につながっていると二人は口をそろえる。
「時代を変える商品、今までなかった商品だけど、これがあってよかったねと思えるものを作っていきたい。私たちはイノベーションを起こしながら、社会に貢献していきたい」(山本さん)。
「友達同士の起業」を成功させるというイノベーションを起こした二人なら、女性の未来を変えるイノベーションをこれからも起こし続けてくれるに違いない。