リーマンショックの真っただ中での就職活動は、思い通りにはいかなかった。就職したのは残業の多い会社。子育てとの両立を想像できず、“次”を決めずに退社してしまった。そんな河島春佳さんが、休みと仕事の区別がつかないほど、没頭できる仕事を見つけるまでの道のりとは――。

休みと仕事の区別がないほどの達成感

「自分の根底にある『好き』を見つけたら、休みと仕事の区別がないんですよね。大学職員をしていて忙しかったときと、労力で比較すれば今も変わらないかもしれない。でも、達成感が違うんです」

生花店で廃棄される「ロスフラワー」をドライフラワーにする「フラワーサイクリスト」という肩書で、百貨店やイベント会場などの装飾家として大活躍しているRIN代表・河島春佳さん。彼女は、フラワーサイクリストとして前進し続ける理由をそう語った。

RIN代表 河島春佳さん 写真=本人提供
RIN代表 河島春佳さん 写真=本人提供

親の転勤で、小さいころから郊外で暮らすことが多かった河島さんは、自然に触れることが当たり前の幼少期を過ごした。とはいえ、当時は花に対して特別な思いを持っていたわけではなかった。

ものづくりが大好きで、編み物を始めれば、8時間でもぶっ続けで編んでいるような子どもだった。小学校の文集には、将来の夢の欄に「デザイナー」と書いたほどで、ずっとその夢を温めながら成長していった。

しかし、大学まで進んだものの、就職活動を始めた頃にはリーマンショックの真っただ中。デザイナーの夢をあきらめたくはなかったが、採用人数が絞られており、自分に合うアパレルを見つけることができなかった。

それでも、選んだのはものづくりに関わる会社だった。初めに就職した玩具メーカーでは、ゲームセンターのプライズ品の企画営業の仕事に就いた。

だが残業が多く、この会社で子育てをしていくという将来的なイメージが全くわかない自分に気づいた。「自分はどんな働き方をしたいんだろう」と人生に立ち止まり、次の仕事も決まっていないのに、24歳で会社を退職することにした。