“次”を決めるための3年間
河島さんは、大学生の頃に、自己啓発書作家である本田健さんの本をたくさん読んでいた。本田さんの本には、「好きなことで仕事をしよう」というメッセージがちりばめられていた。
私も好きな仕事がしたい――そう思うと、もう次の行動に進んでいた。まず、大学職員として3年間働くことにした。大学の職員であれば、休みも安定しているし、残業も少なく、時間に余裕がある。この3年間で次にすることを決めればいい。再スタートのために、自分探しの猶予期間を自らもうけたのだった。
大学時代から付き合いのある友人の中で、起業家の知り合いをたくさん持っている人がいた。起業家と言えば、好きなことを仕事にしている人たちであり、彼らと関わることで自分の意識を高められるのではないか――そう思った河島さんは、その友人を通じて、多くの起業家と会う機会を作ってもらった。
そこで、あるとき風変わりな人に出会った。
彼は郷土菓子の研究者で、3年間勉強したのち、ワーキングホリデーを利用してフランスに渡った。そこまではよくあることかもしれないが、彼の場合、とんでもない帰国の方法を使った。ユーラシア大陸を、ほぼ飛行機を使わずに自転車で横断し、2年間かけて日本に帰ってきたのだと言うのだ。
河島さんはこの話に触発され、普段の行動を変えることで何か見えてくるものがあるかもしれないと、2つのことを始めた。
まず一つは、自然が好きだったこともあり、登山を始めた。登山中は、高山植物の写真をたくさん撮ることが楽しみになった。
もう一つは、ドライフラワーづくりだった。一人暮らしで、花を飾るのが好きだったのだが、ただ飾るのではなく乾燥させてドライフラワーを作ってみたのだ。
好きなことは見つかったが、マネタイズできない
ドライフラワーづくりは自学自習で学んだのだが、次第にドライフラワーがたまってきた。そこで、ある時友人を2、3人集めてドライフラワーを用いたリース作りのワークショップを開いてみることにした。
図らずも、このワークショップの達成感が、河島さんのライフワークを決めることになる。
「これを仕事にしたい」そう思った河島さんは、ワークショップを数回開催したあと、参加人数を10人規模に拡大。友人のカフェを借りて、ワークショップを開催するようになった。参加者からは材料費程度の参加費用をもらうだけで、事業として成り立つようなものではなかった。
2016年ごろには、自分の好きなことが花であり、花を仕事にすることは決めていた。そしてそのころ、学校の職員から転職し、ファッション誌のEC事業で、スタイリストの撮影アシスタントの職に就いた。
この仕事では、クリエーターと接することが多かった。そのため、「花に関する仕事がしたい」という夢を話すと、応援してくれる人ばかりだった。また、写真の撮影現場で仕事をしていたため、撮影空間を作るためにいろいろな人が関わっていることを学ぶことができた。
現場にいれば、空間の作り方は目で見てわかる。たとえば、撮影現場に同じモデルが来ても、カメラマンやヘアメイクの担当者が違えば、全く違う印象を作ることができる。「これは花の世界にも通じるものがある」と感じていた。
花の仕事はまだワークショップだけで、なかなか独立するほどの収入にはならなかったが、このころ大きな転機が訪れる。ワークショップに来てくれたお客さんが、「代々木公園の野外イベントでワークショップをやらないか」と声をかけてくれた。快諾してそのイベントに出店したところ、今度はそこにたまたま来ていた百貨店のバイヤーから、百貨店でのワークショップのオファーがあったのだ。
そこから、百貨店などへ会場を移し、17年には物販も始めることになった。