毎月違うテーマでライフスタイルを提案
この時期、僕らがつくった仕組みのひとつが「プロモーションエリア」でした。
どういうことかというと、お店のど真ん中、入ってすぐ目に飛び込んでくる場所に、一定のスペースをプロモーションエリアとして設定したのです。
そこでは、毎月違うテーマでプロモーションを行います。こうした仕組みは、ニューヨークのディーン&デルーカにはなかったし、当時の日本のスーパーにもありませんでした。
この発想がどこから来たかというと、ウェルカムで生活雑貨を扱う「ジョージズ」や「シボネ」でライフスタイルを提案するなか、培かってきた経験でした。
雑貨やインテリアを扱う店には、たいてい入口に「平台」と呼ばれるスペースがあり、季節やその時々で、新しい商品や提案したいアイテムを置いています。アパレルショップのトータルコーディネートをほどこしたマネキンのようなもので、ライフスタイルを「提案」する、そうしたプロモーションのためのスペースが、ディーン&デルーカにも必要だと考えたのです。
例えば、朝食のプロモーションなら、パンケーキミックスとグラノーラとハチミツとジャムが並んでいて、そこにレシピ本や小ぶりのフライパンもあって……というふうに、お客さまが具体的にライフスタイルを想像できるようトータルで提案していくわけです。
グローサリーに平台を取り入れるアイデアや、プロモーションの仕掛け方、さらにそれをウェブサイトやカタログに広げていくという発想も、すべて雑貨を扱う経験がもたらしたものです。
当時のディーン&デルーカのキーパーソンのひとりは、もともとキッチン雑貨やアパレルのバイヤー経験のある女性だったのですが、その他のコアメンバーもほとんどが雑貨店や商社、ホテルやレストラン出身で、スーパーや百貨店といった食料品販売を扱う業界出身のメンバーは誰もいませんでした。だからこそ、固定観念にとらわれない発想ができたのかもしれません。
外食で培った技術、商社で学んだ開発力や仕組みづくり、雑貨店を通して得た提案力など、それぞれの強みをフルに生かす。それが、あの大変な時期を乗り切る原動力になったのだと思います。
世の中の流れが一致する瞬間
トートバッグのヒットとほぼ時を同じくして、日本でも「地産地消」や「食のトレーサビリティ」といった言葉をよく聞くようになりました。
そのきっかけになったのは「BSE(狂牛病)問題」と「中国製冷凍ギョーザ事件」でしょう。
BSE騒動が始まったのは2000年代の初めですが、有名チェーン店の牛丼が一時販売中止になるなど問題は長引きました。また、中国製の冷凍ギョーザで中毒者が出たのが2007年末から2008年初めのこと。その合間に、産地偽装や消費期限偽装といった事件もあり、日本中で連日「食の問題」が報道されていました。
つまり、日本人の「食の安全」への意識が高まっていった時期と、僕たちが方向性を改めて世界の食の産地を追いかけ、背景にあるつくり手の思いや味わい方を伝えることを大切にしながら店舗を展開するようになっていった時期は、ぴったり重なるのです。「わからないながらに感じる」ことも、ディーン&デルーカが躍進する大きな追い風となりました。
世界的な長寿国と言われる国で、伝統的かつヘルシーな食文化を先人が築いてくれたおかげか、日本ではそれまで「食の安全」に疑いをはさむことはあまりしてこなかった。しかし裏を返せば、知らないところで食に関する様々なことが、経済成長とともに脅かされていたわけです。
デルーカさんのフィロソフィーを知り、海外の生産地をめぐって、多くのつくり手たちが食の表向きの豊かさだけでなく、そこにある危険を感じ、「本質」を大切にしたいと思いはじめていることを肌で感じ取るうちに、日本にも同じ流れが来るだろうと予感するようになりました。
そんな矢先に一連の食の問題が起きたことで、日本の消費者のあいだでも「オーガニック」であることや、生産者が見える食材へのニーズが高まっていった。
そのころには、僕らはすでに産地の表現にこだわり、お客さまとつくり手をつなぐブリッジになろうとしていました。ちょうど、自分たちがやってきたことに世の中の流れが一致した形です。