経営が厳しくなると、企業はたいてい雇用を削減します。それなのに、ほとんどの企業が社員はわが社の「最も貴重な財産」であると主張し、訓練にも多額のカネを投じているのですから、これは偽善ではないでしょうか。
クラウディオ・オステルマイヤー(ブラジル、クルティバ)


 

企業にはレイオフしか選択肢がないこともあります。しかし、実際には多くの企業が、常日頃から行っているべきこと、つまり大掃除をするために、経営の厳しさを利用しています。

そのような怠慢は、とくに「社員はわが社の最も貴重な財産である」というお題目をしつこく唱えている場合には、あなたがおっしゃるように、突然のレイオフを間違いなく偽善的なものにします。しかし、それ以上に、不公正で残酷なものにするのです。

マネジャーの仕事は必ずしも楽なものではありませんが、マネジャーを引き受けたからには、あなたには部下に対する責任があります。それは彼らに自分がどのような位置にいるのかを常にわからせておくことです。

企業はみな、厳しい査定システムを備えているべきですし、マネジャーはみな、それを実施することに弱腰になりすぎてはいけません。ほとんどの報酬や賞賛が最も優秀な社員に与えられ、最もパフォーマンスの低い社員には何も与えられないというように、報酬は社員の評価と密接に関連していなければいけません。

このようなシステムは、パフォーマンスの低い社員に迅速かつ驚くべき効果を及ぼします。彼らを解雇する必要はめったにありません。たいてい自分からやめていくからです。そして、実際の話、彼らの多くが自分のスキルにもっと合う仕事を見つけて、そこでやっと高く評価されるのです。

問題は、多くのマネジャーが、部下に、とりわけ本当の敗者に彼らがどのような位置にいるのかを伝えるには、自分は「優し」すぎるとか、「思いやりがあり」すぎるなどと、うそぶいていることです。

多くの企業があなたのおっしゃるような状況に陥るのはそのためです。そこに至るパターンは、だいたい次のとおりです。まず、悪い業績を前にして、経営陣が早急にコストを削減せねばならないという結論を下します。

社内のすべてのマネジャーが、レイオフを最も緊急の課題とみなします。そこで、たとえばある事業部のマネジャーは、2人の部下を解雇することにします。ところが、このすこぶる思いやりのある人物は、これまでずっとすべての部下に君はすばらしいと言い続け、ボーナス時にはほぼ平等に褒賞を与え、彼らの多くに訓練を受けさせることまでしてきました。

しかし、景気が悪化したとき、誰にやめてもらうべきかはよく心得ています。何年も自分の責任を果たしてこなかったジョーとメアリーです。彼は2人を呼んで、解雇を告げます。

 「なぜ私なんですか」と、2人はそれぞれ詰め寄ります。「まあ、なんというか、君たちの仕事ぶりがあまりよくなかったからだ」と、もぐもぐ口ごもりながら応答。「でも、私は30年も君はよくやっていると言われてきたんですよ。いったいどうなっているのですか」。もっともな質問です。

このマネジャーが自分のなすべき人事の仕事を常日頃からきちんとやっていたら、ジョーとメアリーにとって、解雇されることはこれほど衝撃的なことではなかったはずです。自分の位置を知っていたら、彼らはずっと前に会社をやめていたことでしょう。

それなのに、彼らは今、新しい仕事を探さざるをえなくなっているのです。しかも彼らのレイオフを必要にした、まさにその不況のただ中で。
 「優しい」マネジャーなどというものはそんなものです。常日頃から評価システムを活用して大掃除をしていたら、企業はレイオフの衝撃や痛みを必ず回避できるというわけではありません。組織のコントロールの及ばないところで、迅速なコスト削減を必要とする不運なできごとは必ず起きるものです。そして、雇用削減ほどそれを効果的に達成できるものはないのです。

しかし、厳しい評価システムを実施するとともに、会社の業績について常日頃からはっきり伝えていれば、あなたが指摘されているような、レイオフについての一般的に皮肉な見方を防ぐのに大いに役立つはずです。

(回答者ジャック&スージー・ウェルチ 翻訳=ディプロマット (c)2006. Jack and Suzy Welch. Distributed by New York Times Syndicate.)