今回のコロナもパチンコはどうやら生き残りました

「お爺ちゃんがいまさら話せることがあるかどうかわかりませんが」

その老紳士は指定された古い喫茶店に現れると、杖をマスターにあずけてゆったりと腰を下ろした。私は俳句の世界でたくさんの大先輩と出会う。90歳を過ぎた俳人など当たり前の俳壇、彼ら彼女らが話す昭和史などはまさに遠い歴史の彼方、羨望の偉人の逸話や文壇秘話であり、私の好奇心を刺激する。今日はこの老紳士、池田さん(仮名)から、そんな歴史の話を伺うのだが内容は違う。池田さんは俳句の人ではない。パチンコ業界の知人からの紹介で、戦後日本が作り上げたパチンコの話をしていただくことになった。

パチンコ台
写真=iStock.com/tupungato
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「私の先祖は士族で日本人ですが、戦後のパチンコというのは私のような日本人と民団(在日本大韓民国民団・大韓民国系の在日韓国人)、そして総連(在日本朝鮮人総聯合会・朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮系の在日朝鮮人)の3つの出自の人たちが作り上げて来ました。でも若い人たちの中には誤解している人も多いと聞きます。パチンコは何度も潰されかけました。公娼もそうですが、敗戦後の日本が民主化する中で消えた古い娯楽などたくさんあります。その中で生き残ったのがパチンコです。今回のコロナもどうやら生き残りました」