取材先と飲んでハイヤーで送るなんて日常的
今回の週刊文春報道は、権力の監視者を称しながら、権力との癒着に邁進する報道機関が持つジレンマをあぶり出したといえる。「取材先と飲んでハイヤーで送るなんて日常的にやっていること。今回の賭け麻雀報道のせいで、今後やりにくくなることは間違いないだろう」。ある全国紙の記者は臆面も無く、そうため息を漏らす。筆者も記者として、その考えを十分理解できる。だが、報道機関はどこを向いて取材するべきなのだろうか。
いつの時代でも記者は書いた記事でのみ評価されるべきだ。黒川氏は政権に近いとされる。安倍政権は今国会で、内閣の判断で検察官の定年延長を認めることができる検察庁法改正法案の成立を目指した。高まる世論の反発に撤回を余儀なくされた格好だが、検察への人事介入が可能になれば、首相も立件しうる検察の独立性を脅かし、ひいては、民主主義の土台をも崩しかねないものだった。
今回の賭け麻雀問題が、黒川氏のみならず、報道機関への信頼をも損なったことは間違いないだろう。産経の記者と朝日の元記者には、日本の司法の歴史上、「汚点」として語り継がれるであろう、検察官定年延長問題を巡って、世論と政権の思惑の狹閒にいた黒川氏が、事態をどう受け止め、何を語ったのか、是非とも紙面で明らかにしてほしいところだ。